宮城谷昌光文庫
最終更新 2001/6/17

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写真左から中国古典の言行録、天空の舟、夏姫春秋、重耳、晏子、介子推、孟嘗君、楽毅、玉人、長城のかげ、海辺の小さな町、文庫本の順。

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2001/6/17(日)

『奇貨居くべし 第5巻』 中央公論新社
 97年6月10日に第1巻「春風篇」が発行されてから4年目で全5巻完結となった。
 「春風篇」の帯に「秦の始皇帝の父ともいわれる呂不韋」と書かれていたことがよう
やく理解できた。
 第5巻「天命篇」の帯に書かれているのはこうだ。
 やりとげれば、この政体は先年つづく−−−
 商賈の道を捨て、荘襄王とともに、理想の政体を求め、秦の政治改革をすすめる
呂不韋。しかし・・・・・・

 「わたしは天命に順う。天命とは民意でもある。天が命じ、民が望むように生きる
しかない。耐え忍べ、といわれたら、黙ってそうする。ただし、わたたしの沈黙は退歩
ではない。道をゆくということは、止まる所があるということでもあり、それをもたぬ歩
行には、道がない」  (本文より)

2001/6/9
 yahoo!を検索し、宮城谷昌光についてのホームページへのリンクを作成しました。


2001/5/26
このところ、宮城谷昌光文庫あてにメールが来るようになった。まだ、インターネット上に宮城谷氏を取り上げたホームページがすくないためだろうか。そこで久しぶりにこのページを更新することにした。まず文庫目録から始めよう。
 文庫目録を更新したら、私が購入していない本が3冊あることが分かった。それが分かっていれば、先週紀伊国屋書店新宿南店に行ったときに探したのに、残念だった。

 また、『子産』と『沙中の回廊』については何のコメントも書いていないことにも気づいたので後から、コメントを入れようと思うが今日はもう時間も遅いので後日ということにしよう。


2000/7/20
『奇貨居くべし 飛翔編』(12/7/10) 呂不韋(りょふい)の激動の生涯 待望の第4巻。
甲子園予選の試合の帰りに買い求めて一気に読了した。
帯には以下のように書かれている。
この一歩が天下を経略する一歩になる いよいよ賈人として立つ、呂不韋(りょふい)。とらわれの身となった公子・異人をたすけ、大国・秦の政治の中枢に食い込むための大きな賭けが、いま、始まる。
帯の裏の言葉はこうだ。−何のために異人を助けるのか。と、問われれば、呂不韋は、人民のために、と答える用意がある。支配され続けた人民にも意志や願望はあり、それらを反映させる政体を実現するのは、自分しかいない、と呂不韋は信じ始めている。こういう気概を持たないかぎり、政治の世界に入るべきではない。おのれだけが富めばよいと思っている為政者がいれば、すみやかに賈市の世界へ去るべきである。いや、賈市の世界でも、その考えは通用しないであろう。

と、この文章を写していて、『楽毅 第4巻』をこの欄に記入していないことに気がついた。この本は平成11年の11月頃に刊行されている。どうして忘れてしまったのだろうか。

2000/2/13
『華栄の丘』(12/2/17発売)
 数日前の朝日新聞の広告に『華栄の丘』が出ていた。そこでこの連休中毎日本屋さんに出向いたが、今日13日の夕方になってもどの本屋さんの店頭にも出ていない。紀伊国屋書店のホームページには出ているのだが、クロネコブック便のリストには出ていないから変だ。そこで家に戻ってから、出版元である「文芸春秋」のホームページに行ってみた。そしたら画像も出ていたので、さっそく借用した。カバーの雰囲気が「太公望」とそっくりだ。「太公望」を出してみたら、「太公望」も文芸春秋社発行だった。ナットク。
 早く読みたい。

司馬遼太郎賞を受賞
 今日、2月13日付「朝日新聞」<ひと>欄に宮城谷昌光が登場した。その中に小山内伸氏がこんなことが書いてある。
  
  近年、体調が芳しくなく、原稿に向かう姿勢がふらつきだしていた。先月、病名もわかり治療に向けた時期だっただけに喜びもひとしおだ。

  高校時代に堀辰雄、次いで中原中也に傾倒して文学を志す。古代中国ものなど歴史文学を手掛ける現在からは意外ともいえる出発点だが「基本的に、歴史小説も詩を書いているつもりなんです。話の筋よりも言葉ですね」

 「重耳」以来、ベストセラーが続く。戦乱期を描きながら「すがすがしい人物像」に定評がある。「古いといわれそうだが、義とか徳とかを持つ人物に人心が集まるのは、昔も今も変わらない」

 本紙(朝日新聞)連載中の『沙中の回廊』もいよいよ佳境に。「上・下巻」でいうと、上巻のクライマックスあたりですね」。主人公の士会にも、そろそろ転機が訪れそうだ。


99/4/18奇貨居くべし
 『奇貨居くべし』(黄河篇)が発売される。
『奇貨居くべし』は雑誌「中央公論」連載。最初の春風篇が97年6月刊行。火雲篇が98年3月刊行。そして今回黄河篇が99年4月10日刊行。
 1年に1回しか読まないのだから、前回までのあらすじなどすっかり忘れていたのだが、今回の新刊を読み初めてみるとそれまでのあらすじが浮かんでくるから不思議なものだ。
 実は先週の日曜日に購入したのだが、書類作成のため忙しくて読めず、今朝になってどうしても読みたくて蒲団の中で読み始めた。一度読み始めると読み手を話さない力が宮城谷の作品にはあるのだ。
 帯の言葉を紹介
(おもて)孟嘗君亡きあと、謀略に落ちた慈光院の人々を助け、新たな一歩を踏み出す呂不韋(りょふい)
      秦の始皇帝の父ともいわれる政商・呂不韋の激動の生涯
(うら)呂不韋はふと感慨をおぼえた。この一年は、他人はどうあれ、自分にとって激動の年であった。が、諸国の情勢が激変するのは、これからであろう。天下に平衡をもたらしていた孟嘗君が亡くなったことが、そうさせるのである。
  3年は陶にいよう。
 道学や儒学だけが、学問ではない。黄外のもとで農学を習得したいというより、地にふれることによって、地に映る天をさわってみたい。(本文より)


98/10/31
 『楽毅』第3巻は予定どおり行きの車中で読了。このまま最終巻まで読み進められたらどんなに幸せなことかと思ったほどだ。27日、八重洲ブックセンター1階の宮城谷の本を集めたコーナーに立ち止まっていたら、中年と思われる男女がしきりにどの本が面白かったかという話をしていた。私も本棚を眺めていたが、どうも見慣れない本が1冊ある。『春秋の名君』だ。家に帰ってから私の本棚を調べてみたら、その本だけはなかった。買ってくればよかった。ああ。そこで、宮城谷昌光文庫目録にだけは追加しておこう。
 さて、目録のページを開いていざ追加しようとしたら、なんと既にリストに掲載されている。そして備考欄に(紀伊国屋書店で見た!!)と書かれていた。前回東京に行ったのは昨年の12月に能代工業高校のバスケットを観戦に行った時だから、その時に見たのだろう。すっかり忘れていた。今年も全国制覇50回、全国制覇10連勝、3年連続三冠王を目指す12月の全国選抜大会は応援に行こうと思っているから、その時に購入しよう。


98/10/24楽毅(第3巻)
 『楽毅』第三巻が刊行された。秋田市に出張したときに宮城谷の新作と出合う機会が非常に多い。今回も10月21日から「第84回 全国図書館大会」が秋田市で開催されたので開会式に出席し、その帰りに駐車場へ行く途中にある本屋さんにふと立ち寄った。そしたら、この本がすぐに目に飛び込んできた。「楽毅」を読んだのは昨年のことだったので一瞬迷ったが、奥付を見ると1998年10月20日とあるので、すぐに買い込み、そのまま勤務先の学校まで戻ってきた。第3巻の内容は「小説新潮」の1997年9月号から1998年9月号に連載されたものだ。

 帯(表)「もはや国家存続の希望は絶たれた。国破れ、ただ沈みゆくとき、名将はなにをなし、なにをなさなかったか。」
 帯(裏)「負けたとは思わぬ。しかし、地上から中山という国家が消えようとしている・・・。執拗な趙の侵攻により、国土の過半はうしなわれ、君臣の意気は深く重く沈み、民は追われ四散する。抗いがたい時代の奔流に名将・楽毅はなにを試み、なにを残したか。悠久の中国史にその名を刻み、後世の人に記憶にその矜持と美学、智略をとどめる男の肖像。待望の歴史巨編、第3巻。

 なお、『楽毅』は最初、上下2巻の予定で書き始められ、その後4巻本に変更されているので、第4巻は来年10月ごろの刊行になるのか。それとも『孟嘗君』のように5巻本に変更されるのか。この文章を打ち込みながら宮城谷文庫の本棚をチラッと眺めたら、3巻本までは上中下あるいは上下と表示されているから、第1巻と名付けた段階ですでに4巻以上になることを決めているのだろう。

 また、宮城谷の作品を読むのは旅行とも縁が深い。最初の『夏姫春秋』を読んだのが教え子の結婚式に出席するためにバスで東京まで往復する間たっだことはこのページの一番下に書いてあるが、今回もまた旅行だ。学校図書館活用フォーラムに出席するため千葉県市川市に行くことになっているので、その行き帰りに車中で読もうと思っている。なお、このフォーラムの2日目の高等学校分科会は千葉県立現代産業科学館というところが会場になっているので、そこを見学できるのも楽しみの一つだ。


98/8/30
 小島さんからのmailで『花の歳月』を読む。夜の11時半頃布団の中で読み始めたが、次第に頭が冴えてきて読了は午前2時頃だった。文庫本で出ている宮城谷の作品をまとめて買い込んだ時期があって、その時に目を通したつもりだったのだが、今回読み返してみて、かつて読んだのは196ページ以降の「漢字のこと語源のこと−あとがきにかえて−」と藤原正彦氏(新田次郎氏のご子息)が書いた「解説」だけだったことに気が付いた。あの時は藤原氏の「解説」によってますます宮城谷の魅力に取り付かれていった時期だった。
 私が読了するのに2時間半を費やしたが『花の歳月』は宮城谷の作品としては短編である。読後にすっきりとした安心感が残る作品である。佳品と呼ぶのがふさわしい。小島さん(今度初めてmailをいただいた方だと思うが)が

   あなたの宮城谷作品の所蔵リストを拝見。小生も「夏姫春秋」の直木賞辺りから読みはじめて
  貴リストのすべてを買って読みました。ただ、1点「花の歳月」(講談社刊 ’96年3月21日初版)
  が小生の方が多いです。探してみてください。是非読んでいただきたい。
   漢の劉邦の時代、姉と弟の話ですが、彼のほとんどの作品が男のロマンを謳い上げるものであ
  るのに対して、涙なくしては読めない異色の作品と思います。私の好きな1冊です。

と書いてくださったのももっともなことであった。この欄で感謝申し上げたい。


98/7/17

『太公望』(下)刊行。

 今日7月17日の朝日新聞に広告が出ていたので、帰りにブックスがりばあに立ち寄った。能代市の本屋にしては珍しく「本日発売」のステッカー付きで真中に積み上げられていた。
  今回の帯のことばは、
(表)
  天がうたう時
  望の機略により、周は召とむすび叛意をととのえた。商王紂を討つ−−、宿望の日である。決戦の朝、無辺の牧野はすがすがしく晴れていた。
(裏)
  この男には狂がある、と周王はおもった。だが望には合理を尊ぶ精神があり、実在するはずがない天上の神々に、人を贄にする時代こそ狂気であった。時代の狂気を否定する者に狂気を見るのは古来あることであり、それは革命者の亦亦(えきえき)たる宿命である。


98/6/25 

『太公望』(中)刊行。

 学校の帰りに、「そろそろ『太公望』が出ている頃だ」と思って「がりばあ(書店名)」に立ち寄ったら予想通り何冊か積まれていた。発行は6月20日と奥付にあったから、実際には先週の日曜日には積まれていたのだろう。
   帯に書かれている言葉は、
(表)
  超えてゆく者 利に争うものは敗れ、怨みに争うものは勝つ。それを超えて勝ちうるものは千載にひとり。望の苛烈な生は、悲しみにみちている。
(裏)
  望は貴門を超えるか。貴門を貴族と考えれば、それを超えるのは王侯のみである。奴隷をのぞいて、この世で最下級にいる一男子が、君主になるかもしれない。小魚が虹桟を渡って龍と化す。そんなことが千載に一度はあるかもしれない。


 先週、『奇貨居くべし』の「青春篇」「火雲篇」を続けて読了、今週『楽毅』「第1巻」「第2巻」を続けて読了。何度読んでも読み応えがある。


98/5/31
『太公望』の上巻本日読了。中巻、下巻の発刊が待ち遠しい。やはりスケールが大きい。どうしてこんなにまっすぐに生きた人を描けるのだろうか。

98/5/18
 『太公望』(上)発売 文芸春秋刊 1762円
     中巻は6月中旬、下巻は7月中旬それぞれ発刊予定
 今日、秋田市に出張した。会場は彌高会館。駐車場の入り口が変更になって、倍くらいの大きさになっていた。1時から始まった会議が途中15分くらいの休憩をはさんで午後4時過ぎに終了。この会議は昨年から引き続いている案件の会なのだが、構成メンバーの多くが転勤。23名のメンバーのうち、昨年から引き続きというのはたしか7〜8名だけだ。しかも今年の原案を作るメンバーは全員入れ替えということから、意見がたくさん出て、予定時間をかなりオーバーした会だった。
 そんなことはどうでもいい。彌高会館に行ったときには、いつも本屋に寄ってから帰ることにしている。こういう時に貴重な本を手に入れることが多い。今日もそうだった。なんと、5月10日にこの欄に書いたばかりの『太公望』がすでに三浦書店に山積みにされていたのだ。
 帯にはこのように書かれている。
(表)
   遊牧民の子 少年の名は”望”という。苦難の末商王朝を滅ぼした人である。その波瀾の生涯を雄渾な筆でえがきつくす、全3巻。感動の歴史叙事詩!
(裏)
   老人は土のうえに文字を書いた。「望」という文字である。目の大きな人がつまさき立って遠くをながめている象(かたち)である。望はふるえるほど感動した。−−この目は千里のさきを見る。足は大志のあらわれである。望は死ぬまで望である。

(書き出しを少しだけ紹介)
 羊が炎のうえを飛んだ。
 望という少年の目にはそうみえた。
 煙があたりに立ちこめ、草も木も白い闇のなかに淪(しず)んでゆく。その底に、炎がある。
 炎のうえを羊が飛ぶたびに、炎は鎮まり、草木の緑が焦げ色をみせて近づいた。すすむべき路はそこにしかないと望にはおもわれた。
「彪よ、おくれるな」
 そう叫んだ望の背に女の幼児がひとりいて、左右の手はそれぞれ男の幼児の手をつかんでいる。彪とよばれた少年は、望より年下であるが、この少年だけが自分たちのおかれている危険きわまりない状況を理解し、いまなにをすべきかを知っている。
(以下は本文でお読みください)


98/5/10
 「文芸春秋」平成10年6月号のグラビア「日本の顔」に宮城谷昌光が8ページにわたって紹介されている。まだ文芸春秋を読んでいない人のために、ちょっとだけ紹介しておこう。写真も文春から拝借。
 宮城谷昌光が雑誌で紹介されたのは「プレジデント」誌の平成8年3月号が充実していた。あの時は「特集・宮城谷昌光の世界」として36ページ(広告は除く)にわたって作品内容などが紹介されていた。サブタイトルは「中国・春秋戦国の乱世に輝いた爽やかなリーダーたちの生き方を学ぶ」だった。しかし、宮城谷の写真は和服を着た姿が一枚だけ。(その時が宮城谷昌光の顔を拝見した初めだったが)。
 文芸春秋6月号の「日本の顔」には、まず仕事部屋の写真がある。これはすごい。八畳間の中央にコタツがしつらえられた執筆場所だ。その周囲には史料や書物がぎっしり。このような仕事部屋が3つあって、どれも同じ造りだという。作品ごとに部屋を移るのだという。
 『太公望』(全3巻)がまもなく刊行されるということもここに書かれていた。確か産経新聞連載の新聞小説である。
 『三国志』は平成12年新年号から文芸春秋に連載される予定だという。
 宮城谷は蒲郡市に住んでいるものとばかり思っていたが、2年前に浜名湖畔に引っ越したという。また、「中国に続いて日本の歴史にも挑む」とも書いている。


98/3/22
 今日は今年になって初めて私用で秋田市に出かけた。用事が終わった後で三浦書店に入ったら『奇貨居くべし 火雲篇』(中央公論社刊・1500円)が積まれていた。この本の広告はたしか2月中の新聞に出ていたのだが、能代市の書店には出ていなかった。それが秋田市の書店には山積みにされていた。秋田市には宮城谷のファンはいないのだろうか。
この本の春風篇を読んだのはいったいいつだったのか。奥付を見ると春風篇は昨年の6月10日発行となっている。話の内容も半ば忘れてしまっているので、もう一度「春風篇」から読み直さなければならない。
 「火雲篇」の帯には次のように書かれている。

 荀子、孟嘗君ら、乱世の英俊の薫陶を受け、大きく成長する青年呂不韋。秦の始皇帝の父、ともいわれる政商呂不韋の波瀾の生涯

97/12/5
 昨日秋田市に出張したので、帰りに本屋をのぞいたら『青雲はるかに』(上下)が並んでいたので早速購入。上は「小説すばる」1995年1月号から1996年6月号掲載。下は同誌1996年6月号から1997年10月号掲載。
 上巻の帯「魏王に仕えたいという思いを胸に、学問にはげんだ范雎(はんしょ)は、諸国を遊説する道すがら、運命の女性に出会う。やがて斉に赴き襄王に会見した彼は、その行為が誤解を招き、思いがけない事件にまきこまれる。不運が裏返れば幸運になるのか? ときに秦軍は魏を攻めはじめた。
 下巻の帯「そのころ秦では何かがかわりつつあった。魏の宰相・魏斉から身を隠すため、張祿と名を変えた范雎(はんしょ)は、秦の王・昭襄王により近づいてゆく。それは愛する人をとりもどし、魏斉への復讐をとげるための第一歩であった。権力の趨勢に翻弄されながら范雎は、希有の生涯を歩む。


97/10/12
 『楽毅』第二巻が発行された(発行日は9月25日)。先に『楽毅』(上)が海越出版社から刊行されている。しかしその後この小説を連載していた月刊誌「歴史海流」が休刊となって、楽毅の連載も「小説新潮」に移った。楽毅の構想も変化し、全四巻の予定になったので、上巻も第一巻と名称を変えて新潮社から発行された。
 第二巻の帯には「故国中山は自分にとって、小さすぎるのか−−。楽毅の憂色は濃く、深い。四度にわたる趙の侵略。宰相だった楽毅の父は、自ら望んで死地へ赴き、中山は国土の大半を失った。だが、依然として中山の君臣は驕り、国家の存続を信じて疑わなかった・・・。暗澹たる状況のなか楽毅はただひたすら活路を求め、理想の自己を貫く−−−。


97/6/16
 『奇貨居くべし』春風篇 読了
 私は、この同年代の作家宮城谷昌光氏には何か因縁めいたものを感じている。この欄の「きっかけ」にも書いてあるが、初めて宮城谷の小説を読んだのは平成3年9月、東京の結婚式に出席するバスの中だった。あの時の新婦にはもう2人のお子さんがいる。その後教え子の結婚式で2度東京に出向いているが、その時も宮城谷の小説を読んでいた。そして今回。6月15日にお茶の水の東京ガーデンパレスで教え子の結婚式があった。その直前に『奇貨居くべし』春風篇が発行され、13日に能代で購入。14日のこまち号で上京する車中で読み始め、15日早朝にかけて読了。今回は春風篇というだけあって、希望に満ちた内容で、安心して読み進むことができた。
 ところで、最近の結婚式は、参列者がやたらと多く、結婚する本人とは縁の薄いと思われる人まで参列している場合が見られるが、その点では今回は本当に知っている人同士といった感じであたたかな雰囲気の披露宴だった。これまで高校時代の恩師のあいさつというのは主賓のあいさつのあとで乾杯し一休みしてからというのが多かった。そんなとき私の場合、自分のあいさつの番に回ってくるまでは、ほとんど飲まないで、新郎あるいは新婦の高校時代のことを思い出している場合が多かった。そうするといろんな場面が浮かび上がってくるものだ。ところで今回は仲人のあいさつを入れても3番目という早さだったので、高校時代のエピソードなどを思い出す余裕がほとんどなく、前日三省堂書店で購入した本の紹介で終わったような感じになってしまった。
 その3冊というのは
 1 『大切なものは目に見えない−『星の王子さま』を読む−』宮田光雄著 岩波ブックレット387
 2 『新版 育児の百科』 松田道雄著 岩波書店
 3 『贈るうた』 吉野弘著 花神社
 あいさつの中で吉野弘の「祝婚歌」を朗読。教え子に松田道雄の『育児の百科』を贈るようになってから20数年、吉野弘の「祝婚歌」を朗読するようになってから10数年。こんなことはこの欄に書くべき内容ではないが後で『奇貨居くべし』の感想も書くので許して。


97/6/10
 今日6月10日の朝日新聞に載った中央公論社の広告に宮城谷昌光の本が載っていた。本日発売の本の広告である。
  『奇貨居くべし』 春風篇
  秦の始皇帝の父ともいわれる呂不韋。一商人から宰相にまでのぼりつめた波乱の生涯
  雲がかかる深山、霧にしずんだ幽谷をぬけて、茫漠たる未来へ歩をすすめる少年呂不韋。その運命と精神の成長を描く待望の長編第一巻。


97/5/30
 昨日、秋田市に出張したので本屋に寄って探したが駅前の加賀谷書店にはなく、アトリオン内の三浦書店で1冊あった『史記の風景』を早速購入した。産経新聞の93年9月7日から94年9月27日までの連載と新潮社のPR誌「波」95年1月号から96年12月号までの連載をまとめたものだという。1回分が見開き2ページにまとまっているので病院の待合室で読むのにちょうどいいなあと思っている。


97/5/19
宮城谷の新刊
 今日、何気なく朝日新聞の広告を見ていた。「新潮社の本」という広告の中に『史記の風景』宮城谷昌光があるではないか。3刷/本体1400円と書いてある。我が能代市の本屋ではまだ見ていない。

   中国歴史小説の第一人者が卓抜な着想で読み解く司馬遷『史記』の豊饒なる世界。春秋戦国時代の魅力
  を伝え、現代人を刺激してやまない人知の宝庫を紹介する随想集。
と広告には書いてあった。6月中旬には結婚式出席で東京に行くから(久しぶりだなあ)、その時に神田で買ってこよう。

はじめに

 「小説新潮」平成9年3月号に「楽毅」の連載が開始された。「楽毅」(上)は既に昨年2月に刊行されており、続編もまもなく刊行されるはずと思っていたので意外だった。これまで宮城谷作品はどんな長編でも毎月のように刊行されて終了しており、何度も本屋を覗いては確かめていただけに、まだ連載が終了していないとは思ってもみなかった。
 3月号の「楽毅」の「はじめに」によると、雑誌「歴史海流」(名古屋市の海越出版社発行の月刊歴史雑誌、平成7年創刊)に連載されていたところ、平成8年9月号まで20回分連載して中止していたものを再開するとのことである。従って小説新潮の「楽毅」は21回目からの再開とのことである。なお、「楽毅」(上)には13回目分までが掲載されているとのこと。早く完成して単行本となることを願い、宮城谷氏を励ます意味をこめてこのホームページを開設することにした。

きっかけ

 確か、平成3年だったと思う。9月はじめ、教え子の結婚式が東京の椿山荘であった。そのとき、貸し切りバスで往復したのだが、出発するときに一冊の本をバスに持ち込んだ。それが、直木賞を受賞したばかりの「夏姫春秋」(上)だった。午後9時に出発したバスの最後尾に乗って、薄暗い明かりの中で読み始めたが、どんどん作品に引き込まれていき、途中で少し眠ったが東京に着いてまもなく上巻を読み終えてしまった。披露宴は午後4時頃からだったので、本屋で下巻を買い、始まる前には中程まで読み進んでいたと思う。そのため、早稲田のラグビー部の元監督の日比野教授のスピーチなどもあまり記憶にない。宮城谷昌光の作品はやたらに難しい漢字の名前が多いのに、どうしてこうも読む人を引きつけて話さないのだろうか。そのあとも、重耳のときも孟嘗君の時も、ぐいぐい引き込まれていって、ほかの仕事が手につかなかったことを覚えている。
 講談社文庫版「華の歳月」の「解説」で、新田次郎文学賞が宮城谷氏の「天空の舟」に決定したと知らされた新田次郎氏の子息の藤原正彦氏が書いている。
 「私にとって著者、書名、出版社のどれもが耳新しいものだった。つき合いのある編集者達も同様だった。この賞としては初めての、ずぶの新人だった。」
 「・・・翌日、「天空の舟」を開いた。見たことのない漢字や登場人物の多さに、やや辟易しながら読み始めたが、なぜか本を置くことができず、丸二日をつぶして一気に上下を読了した。七百ページを越える大作を一気に読ませるとは、尋常な力量ではないと思った。あの小柄な身体のどこに、この豪腕が隠れていたのか、あのみずみずしい謙虚のどこから、この威風堂々たる長編が生まれたのか、授賞式における氏のいかにも新人らしい姿を、幾度も思い浮かべた。作品に漂う、大家の風格とがどうしても重なり合わなかった。」
と、私が感じたと同様な印象を持っている。
 また、私が感じた「漢字が多い」ことについては、藤原正彦氏は次のように検証している。
 「・・・漢字が多いという指摘は誤解と思われる。著書の数ページを無作為に選び勘定してみると、漢字の占める割合は28%であった。ちなみに同様のことを私自身の文庫本ですると32%、父(新田次郎)の文庫本では38%であった。宮城谷氏は漢字を多用する作家ではなく、漢字に最大の注意を払う作家なのである。」
 「宮城谷氏はひらがな多様作家なのである。ひらがなの海に漢字を浮き立つ島のように点在させている。漢字に自然と脚光が当てられ、輝いて見える。このめりはりが、一つ一つの文章に均整美を与えている。」

宮城谷の現代小説

 歴史小説はほとんど読んでいるのだが、現代小説はこのホームページを開設してから初めて読み始めた。その感想も「宮城谷昌光の世界」の中に書いていこうと思っている。感想をまとめるとなると休日がないと難しい。少しずつ書いていくことになるだろうな。


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kappei@shirakami.or.jp Katsuhira KOBAYASHI、1997