最終更新2007/1/1
07/1/1(月)
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06/1/3(火)
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昨年の年賀状に「民主主義が変質してきた感じがする」と書きました。あれは市町村合併に関して感じたことでしたが、9月総選挙でも同じことを感じました。郵政改革選挙と報じられ、郵政民営化の国民投票であるかのように演出し、郵政民営化の賛否だけで投票した人が多かったと思います。郵政民営化に賛成したことで、他の重要事項は自民党に白紙委任したことになるとは誰が予想したでしょうか。 今年の年賀状には文章は書かず、風の松原の自作地図を載せました。普段は一太郎を使用していますので、Word を初歩から勉強しました。A4判で作成し、年賀状に縮小印刷しましたので、もう一度A4判に拡大コピーして眺めていただければ幸いです。この地図のPDF版を掲載しました。印刷してご使用ください。 写真の画面にあるように「風の松原案内」のページを充実させつつあります。こちらもごらんください。 |
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05/1/1(土)
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![]() 2004.12.31のkappei 今使用しているのがVALUESTAR 先代がEDi Cube、 先々代がFMV、 その前がNEC9801M(5インチフロッピー)、 デスクトップの初代はNEC9801U。 ノートは初代がPC-9801NS(98NOTEsx) 2台目がPC-9801NX/C 3台目がDynaBook Satellite4030X 現役がVAIO PCG-VX デスクトップは部品が劣化してフロッピー ディスクドライブが動かなくなったもの、 トラブルが多く長続きしなかったものもあるが、 ノートはいずれもまだ健在。しかし初代と2台目は もう使えないだろうな。 |
04/7/30(金)暑中見舞い
| 退職前は、夏休みには補習授業がありました。そういう生活 を何年も続けていました。そのため、「学期中であれば年次休 暇を取って休むことが出来る」が、補習授業は、「生徒や保護 者の希望によって教員が自主的に開講している」ので、「時間 割に組み込まれている講座を、年次有給休暇で休むことは出 来ない」というのが私のこれまでの習慣でした。 そのため、特に夏休みは余裕がなく、暑中見舞いのはがき はほとんど書いたことがありませんでした。書いたとしても、 いただいたはがきへの返事を、お盆休みに書く「残暑見舞い」 になっていました。 今年は暑中見舞いを書けると予定していましたが、いざ7月 末になると、今年は暑すぎて、はがきを作る気力がなくなって しまっています。 梅雨明けが21日、その日から連日30度以上、昨日29日 には、秋田県内各地で35度を超す暑さとなり、今日もそれ以 上の暑さです。台風10号の影響のフェーン現象で、明日も東 北の日本海側は暑さが続く予報が出ています。 右のはがきを作り、20数名に宛名を書きましたが、このとこ ろペンを持つ機会が少ないためか、脳内の漢字変換機能が 動作せず、何度も書き間違えてしまいました。そこで、このペ ージで暑中見舞いはがきに代用させていただきます。 年賀状の場合もこのようにホームページ上だけで済ますこ とが出来ればいいのですが、年賀状の機能には、「年に一度 は相手の住所を確認する」という機能もありますから、あなが ち虚礼ではないのです。相手の住所が不明になった理由は、 「身内に不幸があって、賀状の交換を控えていた間に、相手 が転居し、翌年、賀状を送ったら『転居先不明』で賀状が戻っ てきた」ことがあるのです。 本当は、ここには「風の松原」が「雑木林の松原」になりかねな い現状を書こうとしたのですが、脱線してしまいました。 「風の松原を歩く」をご覧下さい。 |
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04/5/8(土)
5月7日の北羽新報にこのような記事が載っていたので紹介する。
サークル誌 8日に「きみまち集会」
秋田のこだま 今秋の廃刊で語り合う
約半世紀にわたり、地域の生活記録サークル活動を続けてきた「秋田のこだま」(畠山正治代表)の機関誌が今秋発行予定の第50号で廃刊することになり、8日午前10時から発祥の地の二ツ井町のきみまち阪ヘルスセンターで「秋田のこだま」きみまち集会を開く。集会にはサークル創立者の安嶋彬さんが横浜市から駆け付け、サークル発足当時の思い出や活動、変遷などを語りながら懇親を深める。
「秋田のこだま」は、昭和20年代に能代南高(現能代高)定時制二ッ井分校教諭の安嶋さんが呼び掛けて創立したサークル。機関誌は28年に分校生徒が出した手作りのガリ版刷り雑誌「夜学生の四季」がきっかけとなり、32年に創刊。年1回ペースでサークル誌を発刊していたが、47年にいったん中断したものの、学習会などは続けられ、53年に復刊。「夜学生の四季」から半世紀以上続く地域の生活記録サークル、戦後史でもある。現在の会員は県内の約200人はじめ全国で約350人。
集会は午前10時に開会。「『夜学生の四季』から『こだま』発足のころ」と題して安嶋さんの講演に引き続き、畠山さんの「『秋田のこだま』のあゆみ」が報告される。昼食を挟み記念撮影や参加者の「一人一言」の後、懇親会に移る。集会には約70人が参加する予定。
04/5/4(月)
このゴールデンウイークを利用して(といっても毎日が日曜日なのだが)パソコンの環境を変更した。そのためホームページの変更もままならず、十日ぶりにようやくホームページの変更となった。これも正規ではなく、緊急手段だ。
5月2日から能代カップが始まり、観戦した写真をホームページに載せたが、今日4日の最終日になって、今年は能代カップの様子を載せているページがないことに気付いた。それがわかっていれば、私のページで試合内容の紹介をしたのに。来年はやってみよう。今年は地元の北羽新報のホームページの「ニュース伝言板」に試合結果速報が出ている。今年はかつてないほどの実力伯仲で、参加6チーム中5チームが3勝2敗という結果だった。さて結果は?
04/4/16(金)サンシュユ
あいさつ状にサンシュユの写真を載せました。この木は近所にはあまりないので、花の形も分からない人が多いと思いますが、今日、盛岡で石割桜を見、その後で不来方城址に登ったら、二の丸の新渡戸稲造の「われ太平洋の架け橋とならん」の碑の脇にこの木が2本咲いておりました。
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| 石割桜2004/4/16 | 新渡戸稲造の碑の右側の黄色の木 |
04/4/5(月) あいさつ状
| 一緒に退職した友人からはやばやと退職のあいさつ状が郵送さ れてきました。そこで私も慌てて夜になってからあいさつ状を作りま した。 人事異動の際のあいさつ状には、習慣か決まりがあるのかもしれ ません。今回私に来たものが14通ありますが、みな縦書きで、時候 のあいさつのあとに、右下から「私こと」と書き始めています。 私は、その書式が嫌いなので数年前から横書きにしております。 その14通の中には、最後の勤務校の挿絵を描いたもの、心境を俳 句に託したものがそれぞれ1通あって感心しました。 他県の高校を退職する方からもあいさつ状をいただきましたが、 他県では公務員の再任用制度があって、もう2年別の学校で勤務 する方もおりますね。 秋田県の場合には一度検討を始めたものの、平成14年度の途中 で、「この失業者の多い時代に、公務員ばかり再任用を続けるもの はいかがなものか」と取りやめましたが、37年間を振り返ってみると、 高度成長の時期には、公務員の給与は一番下だったのに、今にな って「公務員ばかり優遇されている」と切り捨ててしまうのは変なこと だと思います。 変なことといえば、このあいさつ状の発送の際に、私は発行された ばかりの「フキノトウ」の切手をはったのですが、料金別納のスタンプ だけの人がおりました。なんだか味気ない気がしました。郵政公社も 切手制作には費用がかかっているはずです。スタンプだけであれば かなりの費用節約になっているはずですから、スタンプだけなら10円 引きとかに出来ないものでしょうか。 |
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04/3/31(水) 定年退職
昭和42年から37年間勤めた教員をこの日退職しました。11時から辞令交付式があって参加しました。交付の仕方はこの写真のようなものでした。写っている先生方、怒らないでね。
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03/2/16(日)

このページもしばらく更新しないできたが、息子から電話が来て気がついたら今日が誕生日。今年は年賀状の写真も掲載していないことに気付きました。そこで、一枚。髪も真っ白になってしまったし、今年からは本格的なメガネ生活に入ってしまった。写している場所は毎年同じだから、数年前と比べてみれば老化がよく分かる。
昨日、横手市の石坂洋次郎記念館に行って「若い人」のロケの時の写真などを見てきたばかりだが、こちらはもう「年老いた人」だ。
新聞をみると某国の偉い方も今日が誕生日だそうでびっくりした。
昼に大潟村 生態系公園のヒスイカズラが開花したというので見に行ったところ、「誕生日と花ことば」というパンフレットをいただいた。2月16日の植物は月桂樹で花言葉は「名誉」だということを初めて知った。月桂樹の花とはいったいどんな花だろうか。
あけまして おめでとう ございます
02/1/1
今年の年賀状には、
「秋田県公立合川高校2年目、フェンシングでインターハイ準優勝の応援が出来ました。平成14年こそ優勝の場面をと夢に描いています。
昨年は同時多発テロやIT不況のため生徒の就職状況は大苦戦でしたが、川柳コンテストの入賞作「不景気の次は景気とちゃいまっか」と、新しい年に希望を持って生活したいと思います。」ということを書きました。
この新年あいさつ用の写真を写してみた。朝、髭を剃ってから電気カミソリを掃除すると、若い頃の黒と違って、髭が灰色であること、しかも年々白に近づいていることは分かっていたが、セーターの色と髪の色が同じになっていてガッカリだった。
この年になると人間ドックに入るたびに自分の老化を思い知らされている。昨年は、右の視力が1.0以下に下がったことが分かって、老眼だけでなく近眼でもあることに驚いたが、今年は聴力にも衰えが見え始めていることが分かった。
朝6時25分、携帯ラジオから流れ出るニュースを聞きながら出発、間もなくラジオ体操の歌に変わる。まだ薄暗くてよく見えないが、歩道はつるつると光っているような感じがして歩きにくい。目的地は能代駅。恒例になっている新聞各紙を購入するためだ。能代駅からタクシーが3台走り出た。売店はもう開いていた。秋田魁新報、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞、スポニチを購入。この順番に売店の床に並べられていた。スポーツ紙は他に何紙も並べられていたのだがここで終了。880円だった。幸先がいい数字だと思っていたら、「今日の1番最初のお客様です」と言われた。
もう一度スポーツ紙を見渡して「さきがけスポーツ」を購入。スポーツの地方紙は珍しいと思うが、私の勤務校の生徒がインターハイで準優勝した時の「わたし、これでフェンシングをやめます」の記事を始め、昨年何度もお世話になった新聞だ。今日の一面は「山田監督 挑戦 Dragons再建へ」だ。
能代駅を出たら雪が降り始めていた。凍った歩道の上にうっすらと新雪がかかっていてますます歩きにくい。三田ビルの前まで来たら、北高方向に向かって歩道だけが黒々としていた。そういえば能代でも融雪歩道というか暖房設備が埋め込まれた歩道が何ヵ所か出来たのだ。ここだけは歩きやすかった。
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| 玄関前で12月31日午後写す | 同じく12月31日午後 このページを作成中 |
2001/1/1
あけましておめでとうございます
大晦日にテレビの一年間の回顧番組(2000年はミレニアムということもあって100年間の回顧も多かったが)を見ておりました。そうすると現在の高校生に見られる「退行現象」が、高校生だけでなく、社会一般に広がっていることがよく分かりました。道徳的モラルの低下、幼稚化、後輩に対していろんなツケを残した一年だったように思います。これはある大臣が「後世、自分は借金をたくさん作った大臣として恨まれることになるだろう」とシャーシャーと言ってのけたことに端的に表れていると思います。
私は年賀状に書きましたように、「二十一世紀」というのはほんとに遠い先のことと思っておりました。だからといってはなんですが、自分の健康を振り返ることがあまりありませんでした。40代には「サラリーマンの突然死」がたくさん発生し、私のことを心配してくれる方もありました。しかし意に介しませんでした。自分のテーマを実行することに熱中しておりました。例えば、自分のクルマの手入れをしないのと同じことです。どんなにオイル交換を丹念にしても10年経てば商品価値がほとんどなくなります。それでもどうにか二十一世紀に立ち会えることになりました。僥倖です。自分の眼鏡姿なんて想像したこともありませんでした。
これからは「老後」の中で何をテーマに燃え尽きるべきか、今年はそのテーマを探して模索する1年になりそうです。
二学期の終業式では生徒たちにこんなことを話しました。
私は1944年に生まれた。当時は「人生わずか五十年と言われた時代だった。それが今では平均寿命が80歳を越える時代になった。科学技術はこれからも急速な進展を続ける。君たちは二十二世紀に出会うことになるだろう。 そんなことを話したと思います。心配なのはモラルの低下、「退行現象」にどう対処するかです。
今年は合川高校に勤務しておりますので、合川高校前と合川町にある教員住宅前でデジカメを写してみました。実際に写したのは12月30日のお昼頃です。この日はとても天気が良く、教員住宅の雪かきが終わってから、年賀状に写真を使った「北欧の杜公園」にも行ってみました。自宅に戻ってから部屋の掃除をして、部屋でも撮影してみました。はじめて眼鏡を掛けた写真です。
2000/1/1
昨年の写真は「目が細い」とお叱りを受けましたので、今年は思いっきり目を開けてみました。しかし、不自然な写真ですね。

そこでもう一枚。ちょうどこのkappeiの画面を作成中です。こんどは少しましな写真になったかな。(12月31日午後6時ころ)

(1999/1/7 99年版インターネット年賀状から一部を転載)
昨年末には年賀状を書くことができませんでしたので、この場をお借りして「あけましておめでとうございます」と申し上げます。あいかわらず至って元気ですが、どなたからかmailで指摘があったように、私の特徴だった目がだんだん細くなってしまいました。歳をとるのはどうしようもないものですね。
昨年末にバスケットの応援で東京に出かけたときに『二十歳のころ(はたちのころ)』(立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ)を購入してきました。この本には副題として[立花ゼミ「調べて書く」共同製作]とあります。これから読みますが、私自身の「二十歳のころ」をなつかしむ会を昨年4月に実施できたのは有意義なことでした。また11月には東京で「あの日あの時会」(二ツ井高校3D同級会)に参加することもできました。今年もそういう会を企画実行していきたいと思います。
(98/2/8 98年版インターネット年賀状から一部を転載)
私がインターネットを始めたのは1996年1月末、白神ネットに加入して自分のホームページを開いたのが1996年12月1日です。電子メールアドレスに
kappei と付けたことが正解だったようで、たくさんの方々から電子メールをいただきました。昨年の最後のmailは1982年に能代北高で国語を授業したA子さんからでした。
A子さんたちが3年の時は私のパソコン歴にとって記念すべき年でした。そのころは共通一次試験(今のセンター試験の前身)が始まって数年目でした。能代北高からは40数名が受験し、T先生と私の二人が引率した。ホテルはサンルート秋田。生徒が試験を受けている間は私どもは仕事がない。そこで、当時秋田市駅前にあった電巧堂に入り浸ってワープロの打ち方を覚えた。そのときに買った本が『パソコンを使いこなす本 だれにもわかるベーシック・マスター法』(桐杏マイコン教室編著、永岡書店刊、780円)。今、本棚から探してきて奥付を開いたら、「58.1.15秋田三浦書店より」と書かれていた。その後9801Uを購入したのがパソコン購入の始まり、だんだん泥沼にはまっていった。
昨年のインターネット版年賀状に次のように書いた。
電子メールアドレスに kappei と付けたものだから、すぐに気付いた人がいて、「あの日あの時会」 の仲間にmailで知らせたらしい。「みをつくし会」のみなさんは、女性会員ばかりなものだから、さす がに誰も知らないようだが、「39会(仮称)」や「***会」(この年の学級通信は1年間続けて発 行したにもかかわらず名前が付かなかった。だから***には何も文字が入らない、スペースだけ)や 「ワンデー・TODAY・SUNDAY」の会員にはインターネットに触れている人も多いようだから, おいおいと気付かれるだろう。
「あの日あの時」というのは私が二ツ井高校で発行した学級通信の名前。「みをつくし会」は能代北高で最初の三年間受け持ったクラス。「39会」というのは能代北高最後の3年9組(現在の能代北高は1学年6クラスだが)の名前、仮称だ。前述のA子さんはそのときの隣のクラスの生徒。「***会」は能代高校の最初の担任したクラスだ。まだ一度もmailの連絡が来ないのは「みをつくし会」だけ。ただし、その会の会員には能代市の市政レポーターのような仕事をしている人がいて、すでに白神ネットの中に登場している。
上記の賀状を書いたら、今年はインターネットmailでのあいさつをたくさんいただいた。特に「39会」のメンバーからのものが多かった。インターネットの爆発的な普及も女性の力によるところが大きいということの証拠だろう。
(98/1/1 am0:01)
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この写真は97/12/31の夕方に息子に写してもらいました。カメラはFUJIFILMのDIGITAL
CAMERA DS-30です。このカメラは今回が使い始め。今年はこのカメラで能代市内の様子を勝手に紹介していきたいと考えています。最初に紹介するのは能代の雪景色と考えていたのですが、まだ雪がありません。天気予報では雪だるまのマークが出ているのですが、夜が明ける頃には降り始めるのでしょうか。
(98/1/1 am6:30)
朝、目が覚めたら外は雪。天気予報が当たった。そこで元日の新聞を買いに能代駅に行く時にカメラを持って出かけることにした。
(97/10/1)
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久しぶりに写真を掲載します。この写真は平成9年9月24日撮影。といってもこれは私が撮影したものではないので著作権は私にはありません。(他のページにある写真はすべて私が写したものですから著作権も私にあります)。卒業アルバム作成の写真屋さんが写してくれたものです。写真屋さんからインターネットホームページに掲載する旨の承諾を得たものではないので、無許可掲載です。本校の2年生の授業でインターネットのホームページ作成の参考にすると言うので、しばしの間、掲載します。このように自分の姿でありながら自分の自由にならないというのは「著作権」の面倒なところです。
自分の顔を見るのは久しぶりですが、ずいぶん目が細く写っているなあと思います。もっとギョロッとした目だったのですがねえ。
(97/4/1)
平成9年4月1日から、kappeiこと小林勝平は転勤し、二ツ井高校に2度目の勤務となりました。今日はじめて出勤しましたが、教員35名中かつて同職したことのある方が13名、その中で二ツ井高校で同職した人は2名。お互い出戻りです。学校の印象等はまもなく「二ッ井高校の紹介」のページを開設して書くつもりです。
(97/1/1の年賀状から一部だけ引用)
Kappei こと 小林勝平(Katsuhira KOBAYASHI)です。これまで秋田県立の花輪高校、二ツ井高校、能代北高校、能代高校などに勤務してきましたが、平成7年4月から能代工業高校の定時制課程に勤務しております。担当教科は国語です。今年(平成9年)の3月で教員生活が満30年を経過することになります。
昨年の年賀状には「今年はインターネットにも挑戦します」と書いたのですが、
白神ネット のおかげでようやく実現し、新しい年を迎えることができました。
追伸
もし、私の授業に参加した方がおりましたら mail を書いていただければ幸いです。最近はだいぶ記憶力が衰えてきましたが、それでもお名前を伺えばどういう方であったかを思い出すことができるかと思います。ただし、同姓同名の方がいらっしゃいますので在学した学校名を付け加えていただければ幸いです。
この白神ネットが正式に始まったのが昨年の12月1日でしたが、二ツ井高校出身の方と能代高校出身の方のお二人から mail をいただきました。二ツ井町と京都府からです。インターネットは少しも距離の遠近を感じさせないところがいいですね。
この写真は平成8年12月28日に写しました。愛機 FMV575D4 の前に座って作業しているところです。机の上はパソコンやらスキャナやらでいっぱいなので、ディスプレイもテーブルの上です。
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mail はこちらへ kappei@shirakami.or.jp