秋田風土文学会の紹介

最終更新2005/2/26

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能代山本の文学碑昭和60年 能代北高文芸部展示)へ


2005/2/26(土)

   

 今日、2月26日に秋田風土文学会 平成17年総会が秋田市の千秋会館で開催された。能代でも今朝はいくらか雪が降ったが、秋田市の雪は多かった。出席者は今年は5名。以前、秋田駅から秋大に向かう途中にあった久保田会館(NTTの施設だったか)で開かれていた頃も、総会の出席者数は6人が最高だったと思うから、私は何とも思わなかったが、今年から入会した人はなんと思っただろうか。会員数は欠席通知がきた人を含めて確認できた人数が18名。住所不明の1名については、家に戻ってから調べてみたが、ご家族の名前はわかったが、その人が平成12年に死亡していて、現在の住所は不明だった。

 総会だから事業報告や会計報告、新しい年の事業計画があるのは当然。同人誌を発行する会というのは台所のやりくりが厳しいのが常だが、本会もその例に漏れず、会計簿説明のための資料が3枚もあった。

 今年度の目玉である「設立30周年記念 文学遺跡実地踏査」については期日を8月9〜10日、場所は東京と決めただけで、詳しい見学先は総会終了後の懇談会まで持ち越されたが、なかなか具体案が出ず、東京在住の会員の意見を聞くこととなった。


2004/12/21

 このページに対してクニマスを描いた「永治」の息子さんという方からメールをいただきました。そこで「池田永治の世界」というホームページにリンクを張らせていただきました。
 また、右の写真の冊子をいただきました。

 この『池田永治の世界 −花袋著書の装幀を軸に−』は、平成10年10月17日〜11月15日まで田山花袋記念文学館(群馬県館林市)で開催された第15回特別展の展示内容をまとめたもので、平成10年10月17日に、群馬県館林市教育委員会から発行されたものです。記念文学館のホームページにアクセスしてみたら、右の冊子は1冊1000円なんですね。2冊もいただいてありがとうございました。

 私のホームページには「永治の署名あり」とだけしか書かなかったのですが、よくもこれだけの文字から探し出したものだと感心しました。インターネットHPのチカラですね。


2004/8/30

平成16年 秋田風土文学会 文学踏査 蔦温泉を訪ねて−大町桂月の愛した宿− 

今年の文学踏査は7月4日の案内はがきによると上記テーマであったが、実際は、
 1,成田 健氏(日本近代文学会会員、『文人たちの十和田湖』の著者)から所蔵資料を拝見させていただく。
 2,蔦温泉大町桂月の足跡に触れる。
 3,大湯ストーンサークル見学
となった 。

8月28日(土)
13時 道の駅大太鼓の館ぶっさん館 集合
14時〜16時 成田 健 氏を訪問
18時 蔦温泉 着

8月29日(日)
8時30分〜10時 大町桂月の墓と蔦沼めぐり
11時30分〜13時 大湯ストーンサークル見学
  

1,成田健 氏訪問

まず大館市東台の成田宅を訪問 資料の保管先等の解説を受ける
 大正10年に東京の新聞各社に所属する漫画家達が来県し、田沢湖・男鹿半島を巡り、十和田湖に
行く途中、大湯温泉に一泊、その時に書いていただいたもの

 左は田沢湖でクニマスを描いたもの。永治の署名あり。右は大湯の黒又山(クロマンタ)を描いたもの。
木馬の署名あり。長崎木馬はやまと新聞所属。
掛軸や短冊、書籍、新聞の切り抜きなども
見せていただいた。
毛馬内の内藤十湾(湖南の父)が熊谷君?
に贈った『鹿角志』
県内俳人の短冊の説明 2時間以上に亘って終始にこやかに丁寧
に説明してくださった。

蔦温泉

午後6時頃に蔦温泉に到着。一風呂浴びて夕食。仲居さんから料理の説明を聞く。
今年は6名参加予定だったが2名は急用のため不参加者。 館内は至る所に桂月の書。

2,大町桂月

部屋から見た蔦温泉の庭。軸や額は27番という小広間に飾られている桂月の書。蔦温泉の主人
小笠原耕四郎氏から桂月のお話を聞くことができると思っていたが、今年4月に逝去なされたとのこと。
外来の入浴客は午前9時からとの看板あり。 桂月の胸像。この250m右に行くと桂月のお墓がある。
庭にはこんな句碑も。
階段を上った正面、大樹の前に桂月の墓。 隣は武田千代三郎と小笠原耕一の記念碑?墓?
奥は蔦温泉小笠原家のお墓。
「武田千代三郎」 「小笠原耕一」「両先醒芳●
記念」と読める。●は「あしへん」に「蜀」?
 
武田千代三郎は明治41年青森県知事として赴
任、十和田村村長・県議の小笠原耕一とともに
十和田湖の国立公園化に尽くす?
小笠原家の墓誌によると先代耕四郎氏は
今年4月17日ご逝去。
蔦沼   紅葉は絶景でしたよ 「沼めぐり」でなく「野鳥の森観察路」を歩く
ブナ林はまるで新緑のような青さだった。

3,大湯ストーンサークル

8月29日11時半頃に大湯ストーンサークルに到着。ここは私が昭和44年に花輪に勤務して以来、何度
も訪れたことがあるが、今回久しぶりに訪問。変貌ぶりに驚いてしまった。写真左が野中堂遺跡、右が万
座遺跡。カメラにはとても収まりきれない広さだ。
 昭和40年代に訪れた時は、りんご林に囲まれた中に、野中堂遺跡だけが柵に囲まれ、その前に小さな
管理事務所と遺跡説明の看板があっただけだと思う。
 その後何度か訪れた時は、道路を挟んだ向かい側のりんご林の中に万座遺跡が姿を現していた。規模
は野中堂遺跡よりも少し大きい程度だったと思う。
 何年前だったか、秋田風土文学会でも、毛馬内の内藤湖南旧居や先人顕彰館?を見学した後に大湯の
黒沢さんという民宿に泊まり、翌日ここに来たのだが、その時の参加者は今日は誰もいなかった。
 最近は平成7年11月初め、同じ仕事の人たちと大湯の仙台屋旅館に泊まり、翌日見学に行った。万座遺
跡の周囲にあったりんご林が取り払われ、鹿角市の資料館が完成していた。遺跡の出土品などを見学した
ことを覚えている。その翌年6月に所属する会の東北大会が青森市で開催され、三内丸山遺跡を発掘した当
時の責任者であった岡田さんという方の講演を聞いたことがあった。
 今回は国指定の特別史跡(指定は平成12年か?)ということで、周囲からはりんご林が姿を消し、縄文期
を想起させる20数種類の樹木を植え込んだ広葉樹林の縄文の森に変貌しようとしていた。
 それよりも驚いたのは、遺跡の説明をしてくださったボランティアガイドの人が、私の花輪時代の先輩だった
ことである。私が花輪から転出してから30数年、その後ほとんど会ったことのない先輩だったが、30数年前と
ほとんど変わらぬ若々しい姿で解説してくださった。ありがとうございました。
万座遺跡の周囲には柱跡がいくつも出土している。4本一組と6本一組が交互にあり、そこを想像復元し
た建物が周囲にある。石の数も多く、右の写真の中央部に立っている石が見えるが、あの石は重さが200
キロもあるのだそうだ。また石の色も緑系統であった。
建物を造らない柱跡にはこのように短い柱を埋めてあったので、そこに座らせてもらって説明を聞いた。
右写真の歩道は舗装の間に細い芝生が入っているので、車イスの人は不便だろうなあと感じた。
万座遺跡の全景を撮ろうとしたが、難しかった。
芝生の緑、山々の空色、空の白が美しい。
「青垣山をめぐらせる・・・」と、歌の一節が浮かん
できた。
県道からストーンサークル館の建物を撮す。
建物の全景は、「蓄えの丘」をイメージしたようで、
ゆったりした弧を描く感じなのだが取り忘れてい
た。もう一度取材に行かなくっちゃ。
私たちが行った前日に「縄文シテイサミットinかづの」が行われたのだそうだ。

2004/5/15

 5年ぶりにこのページを更新した。秋田風土文学会が昭和49年9月に設立されてから30年目を迎え、編集体制が強化された。私は3月27日の総会を欠席したので詳しいことは分からないが、会員も2名増えて17名となった。また、久しぶりに郵便振替口座が開設された。
 なお、今年度の文学遺跡実地踏査は8月5〜6日「大町桂月を蔦温泉に訪ねて」である。

第12号が発行されたので、第11号と併せて目次を紹介する。

秋田風土文学 第12号  30周年記念号 (16/3/31発行) 目次

千葉昭治さんを偲ぶ  弔辞                        高橋一成
矢田津世子に潜在する問題系列                     高橋秀晴
郁達夫と田山花袋                              太  陽舜
鳥と文学の風土(一)                            佐々木久春
平成15年(第26回)文学遺跡実地踏査報告
   −横手地方を訪ねて−                        武田幹夫
高校生と秋田の文学
   授業実践「秋田の文学と風土−近代以降の作家たち」より  森元弘毅
遺稿伊藤永之介  エッセイ・雑文等索引                千葉昭治
秋田風土文学会のあゆみ

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