「オレは怒ってるんだぁ!」since 2000/06/01

読者のひろばへの投稿全文
2月1日付北羽新報に投稿した原稿です

2004/02/01


1月29日深夜、もう何年も投稿していなかった地元紙「読者のひろば」欄に投稿するため、3時間も練った拙文をメールで送りました。翌日、「1日付で載せる」という返事をいただき、予告どおり今朝の新聞に載っていました。原稿は本来の字数制限を大幅に超えたにもかかわらず、カットも最小限にしてくれたことに感謝いたします。
ただ、実際にカットされた部分もあるので、以下に原稿の原文をそのまま載せることにしました。赤い字で書かれた部分がカットされた部分です。青い字が「直し」の入った部分です。

新市名にこだわるのは本末転倒

 「読者のひろば」が特集を組むほど熱が入っているのは、合併に伴う新市名について能代市民の関心が高いからであろう。大半の投稿は「冠を捨てたくない」という論旨であるが、歴史と伝統の話、特に阿倍比羅夫まで遡って云々というのは論法としては反則に近い。これでは「他町村の歴史は浅く、名前にこだわりなどないだろう」と言わんばかりの話ではないか。確かに、昭和の大合併によって新しく命名した町村名であろうが、以来数十年慣れ親しんできた名前を捨てるに忍びないことは、能代市民も他の町村民も変わりは無いだろう。
 前市長に不満はなかったとか豊澤市長は独断専行だとか言うが、そもそもせっかく立ち上げた協議会をぶち壊したのは誰だったのか思い出してもらいたい。他町村に対する配慮の無さや、あたかも吸収合併であるかの如き態度で、かといって大したビジョンも示せない、リーダーシップも取れず、他町村に見放されて解散を余儀なくされたことに対する前市長、前市議、当局の責任を誰も問わないのはなぜか。そういった最悪な状態を修復するため、「冠を捨てても」という最も低姿勢な態度で、合併に対する強い決意と意欲を示し、再び同じテーブルについてもらったという結果をなぜ評価しないのだろう。豊澤市長を全面的に持ち上げる気はさらさらないが、一度壊れた関係を修復するのに並大抵の努力ではなかったであろうことは容易に想像がつく。物事を公平に見れば、壊した者を批判せずに修復した者を批判することは道理に合わない。さらに、「冠を捨てても」という市長の発言(に対し)が紙面に登場したのは昨年9月と記憶しているが、これまで市議会は定例議会や特別委員会等でこの件について市長に問いただしたのだろうか。市民は、市長へ直接尋ねるなり自分の投票した市議を通して尋ねるなりしたのだろうか。そういったことをしていたなら、少なくとも任意協議会の場で「持ち帰り」などという醜態を曝すことは無かったであろう。
 合併の目的は名前ではない。二年間で4億円の減収、政策的経費がたったの10億円、地方交付税の減額等、現状のままでは数年で赤字自治体に転じてしまう恐れがあることを考えれば、行財政の再構築の手段として合併しなければならないのは必至であろう。そういったことを含めた本質的な部分で意見を戦わせるならまだしも、新市名で紛糾するなど笑止千万。そんなものは後回しにしてもらいたい。
 私も能代生まれの能代育ち。名前に対するこだわりと能代という名前が消えることに対する寂しさにはひとかたならぬ思いがある。しかし、平成の大合併などと騒がれてはいるが、さらに県北で一市という大合併、その先に道州制という問題が待ち受けていることを考えれば、今こだわりを捨てることもいたしかたないと思う。「○○市能代区」ということで名前が残るならそれで十分である。対外的には、それぞれが思うまま、これまでどおり「能代」という名前を使えばいいではないか。今こだわりを捨てられない人達も数十年すればこの世から消える。次世代の人達のために、広い視野と遠くを見据える目によって決断すべき時が今である。今回のこの大騒ぎは、他の町村長が、豊澤市長の「冠を捨てても」という決意に対して市庁舎の場所を現在の能代市に置くことを合意した、この配慮と信頼関係に水を差すことにはならないだろうか。豊澤市長がいくら能代を文字通り「能く代わる」ように努力をしたところで、市民の意識が旧態依然では何も変わらない。(怒れる市民)


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