「オレは怒ってるんだぁ!」since 2000/06/01

last updated 2000/10/20

なぜ「強化月間」なのか?
それは、どの幼稚園も園児募集を11月1日から始めるからです。
フライングしてるとこもあるけど(笑)。。。

我が子をどの幼稚園に入れようか真剣に考える
お父さんお母さんに贈る“マジな話”です。

フライングするのは「協調性」の欠如か
要するに「みんなで決めたことを守れない」ということである。学校法人といえども“営利企業”であることはしょうがない。そこで出てくるのは「園児争奪戦」である。フライングしようが何をしようが“生き残るため”というお題目の元、血眼になって園児を刈り取る。そう、園児は“飯の種”そのものなのだ!そういう体質の幼稚園で育った子は?・・・少なからず影響を受けるだろう。強化月間だから、どこの幼稚園でもきれいごとを並べる。しかしいくら見た目を着飾っても、化粧の内側が時間の経過と共に見えてくる。本質を見抜く力を持っていれば、自ずとウソが見えてくる。早ければ早いほどそれに越したことはない。・・・くれぐれも「新婚初夜を過ごし、翌朝、愛妻の顔を見てビックリした」という話には結び付けないように(爆)。
愛の名のもとに笛と太鼓は鳴り響き
やがて沢のせせらぎは澱み始めるだろう
知恵と力は相容れず
神の前で慈しみを忘れた道化となる
                百詩篇集 第二巻 三十六篇(ノストラざまス)
迷ったら卒園生に聞け!
上記のとおり、募集する側は自分のところに入るようにと、あの手この手で攻めてくる。きれいごとを並べるのも結構。しかし、騙されてはいけないのは「保育方針」以外の部分を強調する謳い文句である。幼稚園児といえば、言葉は悪いが「動物」である。動物から人になる過程で、幼稚園選びを誤ればその子にとっては不幸以外の何物でもないと思うが、如何か。「親が楽したい」ならそれもいいだろう。「共働きだから」というのであれば、尚更。親が手をかけてあげられないのなら、幼稚園は慎重に選ばなければならない。日々の半分を他人に託すなら、本気で考えるべきである。さて「情報」は時にはいい加減であり、時には真実であることはご承知のとおり。それを取捨選択するのは、あなた自身。とにかく、卒園生およびその親御さんに聞きまくることである。そこから得た情報を噛み砕き、最終決定を下す。
幼き心に宿る光と影
東の都 米の国 世界の果てまでも
桃源郷の如き思い出は残るだろう
誇りと共に味わう紫の杯を交わしながら
                百詩篇集 第五巻 六十七篇(ノストラざまス)
余談その1
じゃんくすは数年前、近所の子供に問いかけた。その子はうちの長男と同い年で、某幼稚園(仮にA幼稚園とする)の出身である。じゃんくす『A幼稚園は楽しかった?』・・・と、突然その子の兄達2名が乱入してきて『つまらなかった!』と声高に話してくれた。じゃんくすは言葉を失った。幼稚園時代を総括して「つまらなかった!」といわしめる幼稚園って、いったい・・・。
余談その2
じゃんくすは、別に渟城幼稚園から宣伝を依頼されたり、なにがしかのお足を頂戴してヨイショ!しているわけではない。専門家(この方面の専門家って誰だぁ?・・・ま、経営コンサルタントとかだろうな・・・)に依頼すれば多額の報酬を請求されるだろう。では、なぜこのように渟城幼稚園にこだわるのか?実は、今年の年初から幼稚園側に対して「公式サイトの作成」をお願いしていた。じゃんくすもいずれ自分のサイトを持つ予定だった。オフィシャルサイトで型どおりのことをやっていただかないと、「側面から見た渟城幼稚園」を語れないからである。しかし、残念なことに(?)渟城幼稚園の職員のみなさんはアナログ人間ばかりで、なかなかサイト作成には至らないのが現状である。ただ、幼児教育に携わる者が、デジタル人間で、妙に機械に詳しいとかいうことになると、かえって“胡散臭い”ような気もするが(笑)。
さて、本題!渟城幼稚園の保育方針とは?
このコメントは、公式見解ではないので誤解しないように。今年のキーワードは「環境」「リサイクル」「手作り」・・・(他にもあるが今年特に目立ったものとして挙げた)。世間では当たり前のように言われていることである。しかし、その当たり前のことがなかなかできないのである。例えば、家庭でリサイクルごみとして出されるペットボトルを集め、半分に切る。中に真中を丸く切り取ったボール紙を挟み、鈴や紙粘土で作った玉を入れて元の形にもどしてくっつける。手作りマラカス(?)の出来上がり。・・・そういえば、長男の入園に際して初めて行った見学会。そこで、かわいい模擬店が出ていて、焼そばやたこ焼き、フライドポテトにフランクフルトソーセージを置いていた。色紙で出来たお金でそれらを購入。信じられないほどそっくりに出来たかわいい“偽者”だった。しかし、童心に帰って感動した。世界にひとつしかない手作りの“偽者”は、いまでもおもちゃ箱のどこかに残っている。

・・・つづく・・・かもしれない。

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