「オレは怒ってるんだぁ!」since 2000/06/01

「ある恋のかたち」

last updated 2000/12/15


第六章(最終章)  師走

 どの業界も師走は忙しい。なかなか圭子と会えない日々が続いた。
 外回りの途中で、携帯電話が鳴った。圭子からだった。
「今、だいじょうぶ?」
「うん。なかなか連絡出来なくて悪かった。仕事はどうだ?」
「それは心配ないよ。私、のみこみが早いからなんとかなる。周りも良い人ばっかりだし」
「そうか、安心したよ。体の方は?]
「……うん。……ねえ、今日会えないかなあ」
「えーと、六時半まで営業会議だから、その後ならだいじょうぶだ」
「じゃあ、いつものバーで七時にね」

 私が、そこへ着いた時には、もう七時をとっくに過ぎていた。
「遅くなってごめん。檜山の奴がとんでもない提案を出したもんだから、会議が長引いちゃって」
「ううん、いいの。私だって、ついこの間まで会社にいたんだから、会議が予定通り終わらないことぐらい予想ついたわ」
「そうか。……あ、ちょっと!ジントニックください。圭子、おかわりは?」
「うん」
「こっちには、ブラッディマリー………を」
私はバーテンダーにオーダーをしながら、圭子が酒を飲んでることに気がついた。

「いいのか、酒なんか飲んで」
「へいき。先週の土日にね、友達の所へ泊まって来るって両親にうそついて…」
「……どこへ行ったんだ!」
「赤ちゃんにさよならしてきたの」
あまりに突然だったので、私はジントニックのグラスを落としそうになった。
「ど、どういうことだよ!」
「そして、今日は洋二さんにも、さよならするために来たの」
スピーカーから流れているキャノンボール・アダレイの枯葉とは反対に、私の心臓はアップテンポのまま、鼓動が身体じゅうに響き渡っている。

「赤ちゃんができた時、『これで洋二さんは私のものだ』って単純に考えちゃったの。でも冷静に考えてみたら、それって本当に私が望んでたことなのかなって思うようになった。それに、あの時の洋二さんの困惑したような顔がね……」
圭子は、二杯目のブラッディマリーを少し飲んでから続けた。
「この二週間、会えなかったでしょ。洋二さん、結論が出せなくて苦しんでるだろうなって考えたら、そろそろ私の呪縛から解放してあげようかなって……それで、最後は思い出いっぱいのバーで、いつものジントニックとブラッディマリーで乾杯してさよなら……テレビドラマみたいでかっこいいでしょう?」
「本気で云ってるのか?……この二週間で何があったんだ」
「私は、まだ若い。やり直しがきく。そういう結論に達したわけ。それに、新しい職場で、もう声をかけられちゃった」
「どんな奴だよ」
「27歳。背が高くて、いい男で高学歴。それに、特殊法人の職員っていったら公務員みたいなもんでしょ。将来も、安定してる」
「何もかもオレとは正反対か……」
「そんなことない!……私が洋二さんを好きになった訳、知ってる?」
「いつか、聞こうと思ってた」
「入社した時に、ピンときたの。社内で一番いい男だったし、歳より若く見えた。半年ぐらいは話す機会がなかったけど、六月の飲み会の時に話して感じたの。やっぱりこの人は、私の先生になってくれる人だって。世間知らずの私を、大人の女性に変えてくれる人だって。本当に、いろんな事を教えてもらったわ。……あっ、そうだ。香田さんと二人でカクテルバーに行ったことがあったの。その時にブラッディマリーを頼んだら、彼女が『圭子ちゃんって変わったもの飲むのね。普通バイオレットフィズとかブルーハワイあたりを頼むんじゃない?』って云われて『私、トマトジュース好きなんです』なんて、ごまかしたけど、ほんとは違うの。洋二さんと初めてここに来て、勧めてくれたのがこれだった。ネーミングの由来も教えてくれた。トマトジュースは血の色を表現してるんだって……ちょっと気持ち悪かったけど、洋二さんに教えてもらった初めてのカクテル、すごくおいしかった。だから、他のカクテルを教えてもらうまでは、これ一本でいこうって決めてたんだけど、それも……もう……」

圭子は、それきりうつむいてしまった。頬をつたう涙がカウンターの照明で光っているのが見えた。店のボックス席には、忘年会の流れ客が大勢いて、随分と騒がしかったはずだが、それも耳に入らない。

「今度の日曜日に……」
「えっ?」
「日曜日、その『三高男』に手料理作ってあげる約束しちゃった」
「手料理って、何をつくるつもりなんだ?」
「へへ……特製ラーメン!」
「オレが教えてやったやつ?」
「そう。……ムッとする?」
「ちょっとね」
一瞬、いつもの二人に戻ったような気がした。しかし圭子はすぐに真顔になり、
「さよなら。……それと、どうもありがとう。本当に感謝してます。この一年の事は、私の一生にとって何物にも換えられない想い出になりました」
そう言って席を立った。私は声をかけることもできず、ただ圭子の後ろ姿を見送っていた。圭子はドアに手を掛けると、ちょっとためらってから私の方を振り返り、笑顔で小さく手を振った。私もつられて手を振り返した。六月のあの日と同じだった。
 出会って一年、つきあって半年。結局、私は圭子に何を望んでいたのだろう。以前、林田が言っていた。
「お前って、いつまでたってもガキだなあ。常に『恋』を探してる」
しらずしらずのうちに、圭子を理想の恋人に作り上げていたのかもしれない。

「お客様、新しいのをお作りしましょうか?」
「えっ?……あ……ああ、そうだな。じゃあ、ブラッディマリーを」
「かしこまりました」

終わり

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