「オレは怒ってるんだぁ!」since 2000/06/01

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☆2003/12/14(Vol.59) ☆2003/12/28(Vol.60)

☆2003/10/23(Vol.55)

調子こいちゃった
なんか調子づいちゃって、またまた書くことにした。つか、前号を書いてから「ああ、あれも書くのを忘れた。これも書くのを忘れた」つうのがあって、思い出しながら今号でフォローしようかという魂胆なわけだね。それにしてもオレったら、なんだか言い訳から入るのがクセになってしまったようだな。“プロローグは言い訳から”って、映画のタイトルにもなりゃしねぇ(笑)。
コラム
某紙のコラム。いつも楽しく(毎度毎度楽しい話題ってわけじゃないけど)拝見させてもらっている。さすが、いろんなこと知ってるなぁとかおもしろい見方だなぁなんて、感心するわけだ。オレみたいに無知でボキャブラリーの貧弱なヤツにとっては、この「何考えてんだよ」が、かなり稚拙に見えて恥ずかしい限りである。・・・が、しかし!たまには「何が言いたいんだろう?」とか「何でこの話題を取り上げたんだろう?」というのもある。さて、9月30日のコラムについて、仲間内でちょっとした話題になった。このときばかりは月末の忙しさで見逃していたオレは、すぐさまネットで見ることにした。某紙のサイトは便利なもので、コラムだけ集めたコンテンツを作ってくれているので、見逃したコラムもすぐにフォローできるのが良い。で、早速見てみる。。。あ〜、N氏の出した“お手紙”のことか。オレんとこにも届いたなぁ。。。なになに?・・・捲土重来ねぇ。。。合併後の市長選にでも出るつもりか?・・・眼光紙背・・・なんかさっきから難しい四字熟語ばっか登場するなぁ・・・でも眼光紙背なんかしなくたって、N氏の政治生命がこれで終わりだなんて誰も思ってないんじゃないか?なんらかの形で政治に関わることは間違いないと思われ。。。なんたって政治に関わった経験年数で言ったらすんごいからね。いや、実績がどうかは知らないけどな、オレ。。。まぁ、選挙に落ちればタダの人っていうくらいだから、今は・・・はっ?!・・・ぶつぶつ言いながらそのコラムを読んでいたオレはハタと気づいた。「タダの人」が出した私的な手紙を、なぜ取り上げたのだろう?内容すべてについてじゃないけど、手紙の中身にも触れてるよな。これってどうなんだろう?・・・つづく・・・
それから・・・
夏目漱石ではない。。。で、、コラムにはこうも書かれている。市長選の結果が微妙だったと。これは、2000票余りの差を微妙と捉えるかどうかの違いだが、それこそ1票差であっても勝ち組と負け組に分かれてしまうのが選挙である。ここからはオレの考えだが、有権者というのは(特に強力な支持者以外)、落選した人のことは落選した次の日には忘れてしまうものだ(言い切ってしまっていいのか?>オレ)。例えば、豊澤現市長が過去に二度、市長選に挑戦して敗れた。三度目の挑戦の際、あちこちで聞かれた声は「この4年間(8年間)、豊澤さんは何をやってきたの?」である。豊澤氏はたぶん、自分なりの政治活動というか市民活動というか、なんらかの形で市長選への準備をしてきたに違いない。でも、関心の無い人にとっては全然何も見えてこないわけである。“タダの人”の動向に興味を持つほどのヒマ人はそうはいない。さて、今回の“手紙”は、そういった支持者の心理状態をくすぐるための手段としてはクリティカルヒットぉ!高得点を与えられるであろう(ゲームじゃないんだから!>オレ)。あれから約半年というタイミングの良さといい、結論を明かさない内容=じらし作戦(女を口説くときの手か?・・・笑)といい、ほんと、うまいよなぁ、と感心せざるを得ない。これも今後へ繋ぐための作戦としては、まず成功といえよう。。。ま、それはともかく、今回のコラムについては「筆者は何が言いたいのだろう?」という疑問が残るわけだ。
衆院選挙
11月9日投票ということで、いよいよ動き出した。秋田は1区と比例区がおもしろそうなんだけど、結局は落ち着くところに落ち着いてしまった感がある。いろんな意味で“終わった”と思われる人がたくさん出馬するのには、正直笑ってしまうのだが。。。さて、2区はどうだろう。社民が独自候補を擁立したおかげで、大方の人は別の意味で“終わった”という見方をしている。要は“N”大先生がなんぼ取って勝つか?!ということだ。まあ市長選の時もそうだったが、自民VS反自民の一騎打ちという構図が出来上がればそれに越したことは無いが(おもしろさという点で)、国政選挙の場合は、そういった政党を無視するような考えはなかなかできないものである。民主が自由と合併し、国民の視線がそちらへ移った途端、自民は幹事長に人気者の安倍官房副長官を大抜擢。民主の思惑はもろくも崩れた、という感は否めない。さすが自民党!これでもかこれでもかと手を尽くす集団である。秋田2区で、なんぼ民主の候補を擁立したところで、“N”大先生には太刀打ちできないであろう。そういう意味では、結果が見えてしまった2区はつまらない選挙になりそうである。
広報
「何考えてんだよ」ではもちろん、以前のコーナー「言いたい放題」でも書いたが、“市議は自分の活動を逐一市民に知らせる義務がある”、“公約に対する進捗状況と達成報告を公にすべきである”・・・。やってる人は何人いるかな?一年生議員はわりとその辺りに気を遣っているようで、ネット上でいろいろと報告してる人やぺ−パーで広報活動している人もいる。いや、これまでも支持者に対するフォローはどの人も・・・たいがいの人が・・・中には・・・一部の人が・・・って、おい!(笑)。やっていたのは事実だ。昨日、ある一年生議員のとこの人が「このたび、新聞ができました」と言って、オレんとこに持ってきてくれた。別に後援会に入ってるわけでも無いし、支持者として名前を書いた記憶も無い。業界(って、どこのじゃ!>オレ)の関係者でも無いから、なんでオレんとこに来たのかわからんけど、とにかく一軒一軒手渡しで配っているようだ。これには感心した。内容についても悪くない。紙面構成のうまさは感じられないが、なにしろ素直な内容(って、どういう内容なんだか・・・笑)で、一般質問の中身と答弁が書かれている。他には応援者の弁などもあって、ありがちな広報といえばそれまでだが、まあ“イケる”のではないだろうか?あとは、4年間で実現させたいこと(公約)とその進捗状況があれば満点だろう。選挙前には、いろんなことがうわさされて、オレも多少色眼鏡で見ていた部分があるが、この広報を作成して配布するという行動だけでも評価したい。それこそ高得点を与えよう。。。ただ・・・金持ちじゃないとこれだけのことはできないよな(笑)。。。
広報・・・その2
そういうオレも、実は今、広報というかそういったものを手がけている。その数三つ。これが同時進行なだけに、頭ん中がわかわかめ状態である。しかし、紙面構成なんかはパターン化されているから、結構、楽なんだけどね(笑)。まあ、先人のお手本を利用すると簡単なんだけど、オレが作るんだから!というどこかにこだわりを持ちたい。つうことで、余計な仕事を増やすわけだ(笑)。話は飛んでしまうが、先日ある会を催した。それも二つ同時に。ひとつはマジメに?某会の発足するための設立総会。こちらは、オレの目論見はもろくも崩れ去り、振り出しに戻ったという感があるが、まあ、お膳立てをして関係者をその気にさせただけでも成功だったといえる。もうひとつは、ある方々のためのお祝いの会である。こちらも、大袈裟にせず少人数でやったのだが、それにしても、なんらかの演出が必要であろうと、前日に二つ三つ考えてそれを実行したところ、結構ウケたので満足満足(笑)。それにしても、この二つの会。準備はすべてオレ一人(プラス、女房に手伝わせたが・・・)。楽しいことは、たとえ準備が大変でも全く苦にならない。そして何より、参加者にウケたり楽しかったと言われたりすると苦労など吹っ飛ぶってもんだ。。。そういうことばっかりやれたらいいんだけどな(笑)。。。得てして金に結び付けようとすると・・・やっぱ、そんなに甘くはないよなってこった(泣)。

☆2003/10/26(Vol.56)

秋晴れ
今日は朝から非常に良いお天気で、アウトドアでバーベキュー!という衝動に駆られるが、昨夜は夜更かししてしまったので起きたのが遅すぎた。どこかにヒマで「やらないか?」と言うと「ほいっ、きた!」と乗ってくれる奇特なヤツでもいればいいのだが、一人でやるには準備に結構時間がかかるし・・・ということで、断念。さらに、朝もはよから拙宅の庭に庭師が入って手入れをしてくれたおかげで、まさか庭仕事をしているそばで炭を熾して肉をやくわけにもいかず、これも断念する理由となった。しかし、外でメシを食いたい願望には歯止めがきかず、結局、車で5分ぐらいの広場で、スーパーで買ったものを食すことにした。そこに着いたのは午後1時ごろ。椅子やテーブルは持っていったが、あずまやが空いていたので持っていったそれらを使わず、あずまやで食事をとった。広場には、もちろん他にもそういう連中があちらこちらにたくさんいて、その中には知人の集団もいたのだが、子供連れの彼らも好天に恵まれて楽しそうに過ごしていた。しかし、天気がこんなに良くても、そこは10月下旬。風は時折肌を刺すように冷たく感じる。午後3時ごろになると、もう陽はかなり傾き、帰り支度をしなければならない。今日の目的は、先日オークションで手に入れた中古のタープ(スノーピーク製で、既に廃盤となったタープ)を試し張りすることにあった。レクタ型のタープを張るのは初めてのことなのでちょっと戸惑ったが、やってみると女房と二人で10分もかからずに張ることができた。これで、次回は大丈夫!・・・しかし、もうこれからの季節は寒くて、これが活躍する場面は無いかもしれない(泣)。次のシーズンまで“お預け”となるだろう。。。『秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。』 枕草子の一節を思い出す時、一瞬だけゆったりした気分になれる。ただ、「夕日のさして山の端」って、ここは日本海が目の前だからなぁ。。。(笑)
衆院選と市長
先日、N大先生の総決起集会なるものが催されて、市長もこれに出席し、応援弁士?を勤めたという報道があった。その時の市長の発言内容に対し、仲間内で話題になったわけだが、某紙のコラムで早速取り上げられていた。発言内容については、当たり障りの無い“応援”だと感じる人もいれば、随分とヨイショしたなぁと感じる人もいるだろう。なぜそれが話題となるか?要は、N大先生が必死こいて応援した市長候補のN氏が負けて、対立候補の豊澤現市長が当選した。そういった対極にある人間をよくもあんなにヨイショできるもんだ、という考え方である。確かに選挙用パンフに顔写真を載せていないのは、秋田2区の27市町村のうち豊澤市長だけであろう。いざ選挙期間に入っても選挙カーの後続車に乗り込んで手を振るなどというバカなマネも、たぶんやらないと思う。豊澤候補を応援した中に、反自民の勢力がたくさんいたということからも、一線を画すことは必要であることは当然。しかし、能代市発展のため、地元出身の代議士に対してお願いすることはたくさんあるだろう。これは豊澤有兄という一個人の感情でどうこうする問題ではなく、能代市長としてどうするかということも考えて行動しなければならない。非常に難しいというかジレンマに立たされる状況であろう。オレだったら投げ出したくなるね(笑)。もっとも、オレが市長になるなんてことは絶対にあり得ないから、自分に置き換えて考えることすら不要なことではあるが(自爆)。
豊澤市長のスタンス
今回のことは、苦渋の決断ととるような大問題では無いと考える。パンフに顔写真を載せたり、選挙カーの後続車に乗って手を振ることもしないが、決起集会ではヨイショのひとつも言って義理を果たそうという・・・その程度の行動だったのでないだろうか?たぶん、事前に豊澤市長の支持者の集会があって、こういうスタンスでこういう行動をとりますが、いかがでしょうか?ぐらいの相談なり説明なりはあっただろうから、そこに集まった人達には何の驚きもなかっただろう。しかし、事前に何も聞かされていなかった人達は、報道の記事を見て「なんじゃ、こりゃ?」となったのかもしれない。それはそれでしょうがないのだが、思慮深い方々には、その発言が市長として当然のものだったということを理解することができるのではないだろうか。某紙のコラムにあるような「軸足を移した」ということは決して無いと思う。もっとも、前回の衆院選で宮腰市長が読んだ原稿を、職員がちょこっと手直ししたもを、豊澤市長がそのまま読み上げたという説を唱える方もいたが、案外そうかもしれない(笑)。
入場料
昨日、能代山本地区吹奏楽連盟主催の「秋の演奏会」というのがあったので、聴きに行った。まあ、毎年行っているので、もう諦めた話なのだが、この演奏会の入場料には結構腹が立つ。年齢に関係なく一律400円也の御代を払わなければ聴くことができない。まあ、それは当たり前で、値段も特に高額だとは思わない。しかし、赤ん坊も幼児も一律に入場料を払わなければならないというは、どうだろう?これも全国の吹奏楽連盟(吹連)で統一見解をしてくれとは言わないが、せめて秋田県の吹連だけでも統一してくれないものか?・・・というのも、小学校バンドフェスティバルというのが夏にあって、昨年一昨年は大曲市で開催し、今年は秋田市開催されたのだが、大曲市は赤ん坊も幼児も一律800円、秋田市でやった今年は小学生以上が800円でそれ未満は無料だった。こちとらガキが三人もいるんだYO!(笑)・・・高い安いの問題はさておき、こっちは取るけどこっちは取らないという統一性がないことに対して腹が立つわけで、同じ催し物なのに開催場所によって入場料を支払うべき年齢が違うというのはどう考えてもおかしいと思う。まして、小学校バンドフェスティバルなどと言うのは開催場所は違っても主催は県の吹連なのだから、毎年同じところが主催してるじゃないか。やり方を統一しろってんだ!
自治会と市長の懇談会
まあ、タイトルどおりのことをやってるわけだが、それについて自治会で役員会が開かれた。市に対する自治会から要望というのは、どこでも毎年、文書で提出しているわけで、それについて回答書なるものが来て、できるものはできるし、できないものはできないとか、もうちょっと待ってくれとか言ってくるわけだ。ある役員が「市長と懇談したって、その回答書と同じことじゃないか?」という発言をした。オレは「ったく、このおっさんは何もわかっていないな」つうことで、発言するに至ったわけだが・・・要望書なんちゅうものを市長がいちいち見るわけねーじゃん。担当部署が見てそこの担当者(よくて責任者)が回答するだけの話。市長がせっかくの機会をセッティングしてくれるんだから、この地区の最大の懸案事項を、直接市長にぶつけたほうがなんぼか効果があるだろう?さらに、この地区から市議が出ているのだからなんで使わないんだ?・・・みたいなことを言ってやった・・・もとい・・・言ってさしあげた(笑)。ったく、アンタら年寄りがそんな投げやりな態度だから、わかいもんがしらーっとした感じになっちゃうんだよ。もうちょっとマジメに考えろってんだ!言っちゃあ悪いが、世の中がこんなになったのも、ちったぁアンタらにも責任があるんだぜ?無気力・無関心・無感動の世代を作り上げた親って、アンタらじゃないの?・・・と、酔っ払いがひとしきり怒ったところで、おやすみなさい。

☆2003/11/04(Vol.57)

種苗交換会
10月31日から、県種苗交換会が能代市で開催された。11/3までの人出は66万人となった。当初の見込みが7日間で80万人と言われていたから、4日間で8割以上達成?となったわけだ。どうりで街中が渋滞してる(笑)。まあ、残り3日間で17万人はいけそうだが、とにかくすごい人出だ。連休に好天が重なったこともあるのだろう。例年は「種苗交換会に霰(あられ)はつきもの」と言われるぐらい、荒れた天候を覚悟しなければならないのだが、今年はなぜか、好天に恵まれたほかに気温もそこそこ高かったのが幸いしたと思われる。それにしても・・・オレも、生まれてうん十年になるが、この大イベントを今まで参観したことはなかった。既に126回も開催されていて、能代での開催は9年ぶり10回目だそうだが、元々「お百姓さんのイベント」だと思っていたものだから、なんだかオレには縁が無いものと決めつけていたのかもしれない。今回、足を運ぶきっかけとなったのは、小学校に通う次男の学年が、サツマイモの植え付け・収穫をして、それを種苗交換会に出品するという話を聞いたからだった。初日の午後に行ったせいか、人もまばらでゆっくりと見ることができたのだが、作物の出来不出来などわからないオレにとっては、どれも“りっぱな作物”に見えた。もちろん、○○賞という札がつけられていたものと何も賞をとれなかったものとの違いはよくわからない(笑)。さて、会場には○○試飲会や○○試食会などもあって、ちょっとつまんでみたい衝動にかられたが、そこに並ぶ勇気など持ち合わせていないオレは、それを断念。息子の通う学校の作品を必死に探すのが精一杯だった。まあ、何の賞もとれなかったということだけは確かめて来たのだが(笑)・・・。
水・・・飲み水・・・水道水
『東京の水はマズくて飲めねーや』なんて話をよく聞くが、能代の水も負けてはいない(勝ってどぉするよ?・・・笑)。オレが上京した頃は、そういった話をよく聞かされて、さぞかしマズいのだろうと思っていったのだが、意外にも思ったほどマズくは感じなかった。むしろ、夏休みなどで帰省したときに飲む「能代の水」の方がよっぽどマズいと感じてしまった。米代川の河口にある取水口・・・考えてみれば、上流には鹿角、大館をはじめとしてたくさんの自治体がある。そこを通って来る訳だから、いろいろとねぇ・・・笑・・・。つうことで、美味いわけがない!(爆)・・・当時は、ミネラルウォーターなどというものが、今みたいにスーパーやらコンビニやらに当たり前のように置いてあるわけもなく、いわゆる「スナック」や「バー」といった飲み屋さんでお目にかかる程度の代物だった。もちろん、瓶には「サン○リー・ミネラルウォーター」と書いてあっても中身は水道水だという暗黙の了解はあったのだが(笑)。さて、我が家の亡くなったオヤジがどこで聞いてきたのか、ある日『うちも浄水器というものをつけなければならない』と言ったのが、10年以上前の話。当時はホームセンターなどでも見ることは無く、通販で手に入れるしか手段は無かった。で、2万円ほどの出費をして浄水器を取り付けたのだが、結果的には“美味い水”を飲めることになったわけだ。ただ、こいつは日持ちがしないため、水筒などに汲み置いたり氷にしたりといっても、使い切らなければ数日で捨てなければならない(らしい)という欠点もある。まあ、それでもなんとなく“美味い水”に慣れてしまった我が家は、水道水を直接飲むことにちょっと抵抗するような家族になってしまったわけだ。しかし、能代の水はなぜマズいのだろう?・・・ちなみに、昭和48年と53年(と記憶しているが)、暖冬による雪どけ水の不足と空梅雨、猛暑のせいで海の水が米代川に逆流し、水道の蛇口をひねると“しょっぱい水”が出てきたことを思い出す。そのせいか、現在の取水口は当時より上流に移った(はず)。以来、“しょっぱい水”が水道から出てきたことは無い。
学童保育
昔、「カギっ子教室」という名前のものがあった。高度成長期も末期になると、能代辺りでも職場への女性進出が目立ち、共働きの家庭が増えて、いわゆる「カギっ子」と呼ばれる子供たちが出てきた。もちろん、“木材の町”能代は昔から製材所等の木材関係の産業に、女性の職工がいたのは言うまでも無いが、その頃は兄弟も多く、小さい弟や妹の面倒は、兄や姉が任されていたものだ。しかし、今ほどではないがそれなりの少子化が進行し、また、核家族化も伴って出てきたのが「カギっ子」なのだ。そこで、そういった子供たちを放課後午後5時ぐらいまで面倒を見てくれる「カギっ子教室」が出現する。いつの頃からか、オレが通った第二小学校には、「カギっ子教室」が無くなってしまった。家庭環境が変わったからと言って共働き家庭が無くなったわけではないし、むしろ以前より多くなったはずだ。いくら児童数が少なくなったと言っても、その需要が完全に無くなったわけでもない。しかし、現実に「カギっ子教室」は無くなってしまった。これを改善しようと、行政は民間委託を提案した。しかし、保育所の合理化でいっぱいいっぱいなのかどうかは知らないが、学童保育の民間委託の話はとりあえずストップしたらしい。第二小学校の「カギっ子」達は、現在、第三小学校近くの学童保育の教室に通っている。例えば、自宅から学校、さらに学童保育の教室・・・と段々自宅から離れていく児童がいたとしよう。午後5時を過ぎると彼らは自宅から遠く離れた場所から、自宅へ帰らなければならない。親がそこまで迎えに来るのならまだいい。しかし歩いて帰るには途中、いろんな危険があるわけだ。これからの季節は、日が落ちるのも早い。午後5時ともなると辺りは真っ暗になることも考えなければならない。また、幹線を横断することもあるだろう。小学校1年から3年の子供達が対象なのだから、“おこりうる危険”について、もう少し真剣に取り組むことはできないものか?保育所の民間委託は、行政のリストラなのだろうが、学童保育は“教育”と“福祉”なのだ。そういった意味合いがあるということを踏まえて、早急に手を打つべきだと考えるが、いかがか?
サーカス
先日、同じような年代の者が集まって酒を酌み交わした時に出た話である。オレが小学生の頃、能代に木下サーカスがテントを張った。たぶん一ヶ月近くは滞在していたと思う。場所は・・・オレの記憶が正しければ・・・現在の通町にあるスーパーTの向かいだったと思う。店をたたんだM材木店の土場跡地だったと記憶しているが、ただ、現在その場所を見ると、そんな大きなテントが張れるほどの場所だろうか?という疑問も残る。もしかしたら、当時Y材木店の土場があった、現在のスーパーTの場所かもしれない。ご記憶の方は掲示板の方にご一報を願う。。。さて、オレはその時にはサーカスを見ることはできず(経済的理由だったと思う)、行った友人たちの話を聞くにとどまったが、さして興味もなかったのかもしれない。友人たちの話を記憶として留めておくことはなかった。。。娯楽の少なかった当時の感動を先日の飲み会で聞かされることとなった。球形をした鳥篭のようなものにバイク2台が入ってのアクロバットの連続には、えらく感動したものだと話してくれた。数年前、旧秋田空港跡地にキグレサーカスがテントを張った際、チケットをもらったこともあって、子供2人を連れて見に行った。子供たちにとってサーカスは初めてみる“ショー”だったが、実はオレにとっても初めてのことだった。まだ、3歳か4歳の落ち着きの無い長男も、こればかりはじっと目を凝らしていた。もちろん親であるオレも同じだった。そして、やはり空中ブランコと共に目を惹いたのが、この“バイクショー”。球形の檻の中を縦横無尽に行き交う2台のバイクには、正直、感動した。これがプロの技なのだろうが、それにしてもよくやるなぁ、という感想。。。今や、娯楽が増えていろんな情報を手に入れることが出来る時代。子供たちが無表情でTVゲームに熱中する姿には“異常な何か”さえ感じる。この子達の将来は大丈夫だろうか?

☆2003/11/29(Vol.58)

冬に向かって
またしばらく間が空いてしまって申し訳ない。某サイトの更新が結構大変で、そっちにかかりきりだったわけ。。。しかし、やっぱ寒いね。あと数日で師走となるわけだが、これがやっぱ歳を感じる季節なわけだ。年末になると大人が決まって言うせりふ『あっという間の一年でしたね』。。。決まり文句なのはわかっているが、確かに、ほんとに、心からそう思うのであった。えーと、なんだっけかな?同期会であいさつしたS君が言ってたんだけど・・・これが妙に納得する話だったんだよな。。。例えば、10歳の子どもは10年分の記憶が頭の中にあるわけだ。まあ、3歳ぐらいまでの記憶は無いだろうけどね。これが40歳の大人に置き換えると40年分の記憶が詰め込まれているわけだ。。。はて?それでどうだったんだっけ?(笑)・・・ま、その詰まってる40年分から見れば、1年つうのもちょこっとしたもんなわけだね。。。ん〜・・・なんかわかったようなわかんないような・・・もう一回ちゃんと聞いてくるわ(自爆)。。。要するに、人間の脳のメカニズムによる・・・もう、やめよう(重爆)。。。あ・・・カキ氷を食べた時に頭が痛くなるのも、脳が勘違いしてるからなんだってね。。。って、これも関係ないや(笑)。さて、そろそろタイヤをスタッドレスに替えなきゃならないかな?(無理やりだな・・・爆)
市町村合併
いよいよ具体的になってきたが、新市名は公募することに決まりそうだ。まあ予想されるのは「白神市」かな、とか思うわけだが、案外全然関係ない名前に決まったりするかもしれない。やはり世界遺産で名前が売れている「白神」を旗印に、産業・経済・雇用・文化などなどいろいろな方面に展開することが、生き残る道のひとつとして「名前」は重要になるのではないだろうか。聞くところによると、県境を挟んだ反対側、青森県西津軽郡西海岸三町(岩崎村・深浦町・鯵ヶ沢町)も合併の動きを見せており、こちらも白神山地のお膝元ということで「白神」の名前を自治体名にしようとしているという話を小耳に挟んだ。。。話はちょっと逸れる。秋田県内の合併の話もよくわからないのに、青森県の話をするのも変だが我慢してもらいたい。やはり西津軽郡は、北津軽郡を含めて五所川原市を中心とした大同合併するものと想像していたが、そう簡単にはいかなかったらしい。西海岸三町は現在も生活圏・経済圏が能代市にあるため、将来的には能代市に編入することも視野に入れて三つでまとまったという話もある。この三町の北側、十三湖の辺りに位置する西津軽郡の木造町・森田村・柏村・稲垣村・車力村がひとつにまとまり「つがる市」となるようだ。一方、こちらも十三湖付近に位置する北津軽郡の金木町・中里町・市浦村・小泊村がひとつになり「十三湖町」、板柳町・鶴田町は二町でひとつになる動きを見せている。というわけで、呼びかけもむなしく、五所川原市を中心とした大同合併構想は崩れたようだ。五所川原は周りの町村に嫌われているのか?・・・なんだか、数年前の能代市のようだ(笑)。・・・つづく・・・
冠(かんむり)を捨てて・・・
豊澤市長が市町村合併についてアナウンスするときに『これは吸収合併ではない。対等合併なのだから、新市名についても「能代」という冠は捨てても良い』てなことを言うわけだね。今日の地元紙の報道を見ると、合併準備会での話では「旧市町村名は使用しない方向で」ということだから、意見は一致しているようだ。ま、それは置いといて・・・先日、市の要人(とだけ言っておこう・・・笑)と話をする機会があったのだが、その席で聞いた話をしよう。その「冠」についてだが、実は「○○区」という住居表示を使ってもいいらしいというのだ。ということは、例えば新市名が「白神市」になったとしたら「白神市能代区」とか「白神市二ツ井区」とかそういうことができることになる。それぞれ地元の人にとっては、慣れ親しんだ、また歴史とか経緯とかに染まったこだわりのある現在の自治体名が残るということは、なによりであろう。確かに、名前のために合併するわけじゃないんだから、他にもっと考えなければならないことはあるわけだが、なにしろ日本人というのは「名前」にこだわる人種であるから、これもいたしかたないであろう。秋田県でも南西の方に位置する地域では、その名前と役所の場所が気に入らないということで、合併協議会から離脱する町もあるぐらいだ。いずれにしても、オレは「区」というのはいい案だと常々思っていたが、法律で名乗れないと決まっているはずだと思っていたので、これが使えるならそれに越した事は無いと思う。ただし、東京23区のような特別区とは考え方が違うと思う。どちらかといえば政令指定都市の区に近いのではないだろうか?そうなると、区長という立場の人間を配置することもできる。これが特別区と違うところで、特別区の区長は選挙によって選ばれるが、ここで言う区長は単に市の職員なのである。妙な勘ぐりをあえて書いてしまうが、合併した途端に現在の首長達は「ただの人」になってしまい、その職を失うわけだが、特に能代市以外の首長達を市の職員にしてそれぞれ区長とする手段もありえるな、と。・・・つづく・・・
合併はいつやるのか?
平成17年3月31日までという期限がついているわけだが、どうもこの日までに「平成18年4月1日から合併する」と決定してもいいらしい。要は合併特例債という「アメ」をもらうための期限がそこにあるというわけだ。そうなると首長は18年4月1日には「ただの人」になるわけだが、市町村議会の議員達はどうなるのか?これも、合併から2年間はその身分のままでいられる特例があるというので、そうなると合併後2年間は128名ほどの議員が存在することになる。能代山本の場合、合併後の人口は9万数千人と10万人をきる数なので、法定議員数は30名となり、4倍もの議員報酬を払わなければならない。特例の2年間とはいえ、なんだか腑に落ちない点もある。実際、本荘由利の合併協議会でも同じことが問題となっている。また、さらに特例があるらしく、合併と同時に議員選挙となった場合、法定の30名にプラス30名で60名の定員とすることも可能だという。この場合、任期は4年となり前述の128名で2年とするか60名で4年とするか、ま、大した変わりはないように見えるが、報酬以外の経費の部分を見ると定員は少ないほうがいいような気はする。いずれにしても、現職の議員たちは戦々恐々としているわけだ。つうか、首長の方が大変か?(笑)。。。さて、今度は新しい市の庁舎をどこに持ってくるかということも重要であるし、住民の関心もそこにある。もちろん、周辺町村の役場は合併後にどうなるか?それより職員はどうなるのか?ということも当事者にとっては重要であろう。いずれにしても、あと1年ちょっとで決めなければならないことは山ほどあるということになる。オレの情報網にひっかかったネタについては、この「なに考えてんだよ」で随時お伝えしたい。・・・小耳に挟んだ情報をちょっとだけ・・・新市庁舎については、周辺町村の首長も何人かが「(現在の)能代市にあるのが望ましい」と話しているように、現在の能代市にできると思われる。それがどこなのか?!・・・今の庁舎はキャパが狭いし建物も古いが、あれを取り壊してということは考えていない(かもしれない)。かといって、あそこから遠く離れた場所というのも考えられない(かもしれない・・・爆)。そういえば、学校の統廃合という問題もあったよな(脈略ないけど・・・笑)。。。ま、そんなことも合わせて考えると、おもしろい(かもしれない・・・しつこい>オレ)。
事件は現場で起きている
近頃、この周辺でさまざまな事件が起きているのは報道等で既報のとおり。市の職員による器物損壊事件、学校に忍び込んで女子高生の体操着を盗んだ事件、パチンコ店の両替所から出てきたところを襲った強盗事件、そして山本町でのえい児死体遺棄事件。どうも殺伐とした世の中になったものだ。それぞれ違う種類ではあるが、時代の背景をそのまま映し出したような事件ばかり。昔のように、都会と田舎での情報に対する時間差など最早無くなり、犯罪までもが都会での出来事と全く同じく起きている状況だ。意識的には、都会も田舎もなくなったのか?・・・言葉についても、子どもたちが方言を話さなくなり、味わいがあって、また曖昧模糊としたなんともいえない表現の言葉が消え去ろうとしている。かく言うオレも能代弁をよく知らない。両親がよそ者だということもあるが、小学校の時に標準語(共通語)を話さなければいけないという教育を受けたことにも起因すると思う。もっとも、方言で授業するのは教える先生も聞く生徒の方も辛いものがあると思うが(笑)。なにしろ教科書が標準語(共通語)で書かれているのだから。さらに、東京や大阪から転校生が来たら、全く通じないかもしれない(って、そんな細かいことまで考えなくても>オレ)。随分と話が逸れてしまったな・・・。日本の警察は世界で一番!と言われていた頃が懐かしいとされるほど、昨今の警察は検挙率が低下しているようだ。それは、これまでには考えも付かなかった犯罪が新出し、人間とは思えない猟奇的な感情や性癖からくる犯罪や、外国人による集団的犯罪などが増えたことも、原因のひとつではないだろうか。田舎に行けば行くほど戸締りには無頓着であったが、こういった時勢を考えると、戸締りをしないことが犯罪の手助けにつながる。ましてや、物色中に家人に見つかると襲い掛かってくることもあるだろう。犯罪を減らす意味でも、自分たちで気をつけなければならにことはたくさんあると思われる。女子高生の「なま足にミニスカート」もやめた方がいいんじゃねーか?ま、最近は体操着の上からミニスカート(制服)を履くヤツもいるが、あれってカッコイイのか?(笑)・・・いずれにしても、家庭・学校・社会がいい加減な教育をした結果なのではないか?会議室と現場では意識に大きな開きがあると思われるが。。。
サティ跡地〜大規模小売店舗
昨年6月で閉店した、能代サティ。その後、跡地利活用についてあーでもないこーでもないと喧々囂々やってきたわけだが、結局核テナントを配してのショッピングセンター構想は断念せざるをなくなった。以前も書いたが、建物の老朽化は否めないことからも、大手スーパーも手を出しにくい状況なのだろう。後は建物を取り壊して新地にするしか手は無いのか?関係者はもがき苦しんでいる。未だに利活用を模索しているのだが、果たして最後の悪あがきなのだろうか?・・・実は、福祉・教育関連施設を造るという新しい構想も出ているらしい。もちろん決定ではないし、この先この話がどうなるかわからない。とか言ってるうちに、巨大廃墟になりつつあるのだが、見るに忍びない姿をいつまでさらしておくつもりなのだろうか?・・・一方、イオン系スーパー「ジャスコ」の移転問題も浮上してきている。平成19年度までに延伸・完成が決定している高速道、能代南インターから二ツ井インターの間。現在急ピッチで造っているわけだが、途中、能代東インターというのが、東能代地区に出来る予定だ。このインターチェンジ付近にジャスコを移転させようという計画なのだが、果たしてその目論見は成功するだろうか?これまで、郊外型大型店出店を容認せざるを得ない状況に、臍をかむ思いの関係者たちをよそに、能代市長崎地区、高塙地区、寺向地区、落合地区と、どんどん市街地から離れたところに大型店が出来、商業地区が分散されていった。そういったケースをこれ以上許すことができるのだろうか?市町村合併が進めば、どうしても現能代周辺の田園地帯が宅地化され、現周辺町村の人達が移住し始め、そこに大型店が進出してくることは火を見るより明らかである。そのときに、現在の中心市街地はどうなっているだろう?ここが踏ん張り所である。行政と商店主と住民が一丸となって「まちづくり」を考えなければならないのだ。かつて、緑町にイトーヨーカ堂が進出しようとしたことがあった。それを阻止することに成功した直後に柳町にジャスコを持ってきた。事情を知らない者たちは「ヨーカ堂がダメでジャスコはいいのか」と笑った。オレもその一人である。先日、事情通に伺ったところ『当時は、緑町も“郊外”だったんだよ』とのこと。。。ジャスコは横手の例を見るまでもなく、移転に意欲を燃やしている。取り残された、中心市街地は名ばかりの「中心」となるのだろう。
投げ込み
数日前、外から帰って郵便受けを見ると、見慣れないペーパーが入っている。なんだろうと手に取ると、たぶん雑誌をコピーしたものだろう。2枚をひとつにステープラ(ホッチキスとも言う)で留めたものだった。誰が置いていったものか想像がついたので、すぐに友人に電話をするが、自分ではないと言い張る。さて、誰が置いていったものか?まあ、こんなことをするのは“あの人”か“あの人”だろうと見当は付く。さて、そのコピーは雑誌「K」の一部と思われるものだった。オレはあの雑誌を購入したことはないから想像にすぎないが、たぶんそうなのだろう。内容については、このコーナーや前コーナーでさんざん書いた「政治倫理条例」に関するものだ。疑わしい市議が数名いるということはオレもここで書いてきた。そのうちの一人を、実名を挙げて「疑問」という形で取り上げている。読者の声ということで、投書があったらしいが、その投書を冒頭に載せているわけだ。それにしてもこの文章、以前にどこかで見たことがある。と思ったら、一年も前に当時の市議の一部の人達に投げ込まれた文章なのだ。そうだ。その頃に某市議に見せてもらったから、それが記憶に残っていたのだ。それにしても、オレにとっては「今さら」な記事なのだが、当時とは違うメンバーが市議となったわけだし市長も代わったことだから、この辺り、少し手を入れてもいいかもしれないね。当事者も少し遠慮したらどうだろうか?爆弾発言をしてしまうが、平成13年度決算委員会の資料ならオレも見てるぞ(笑)。市発注の工事がどこにどれだけいったか、物品納入がどこからどれだけあったか、全部知ってる(かもしれない・・・笑)。

☆2003/12/14(Vol.59)

師走
毎年この時期になると、このタイトルで書き始める気がするのだが、やっぱり一年の締めくくりという意味では、他の月とは違う感じがする特別な時期なんだと思う。前号でも書いたが、ホントに一年が早い。それにしても今年は暖冬なのだろうか。去年の今頃はもうちょっと雪があって、寒かったような記憶があるのだが・・・。それはそれで、燃料費や電気代がいくらか少なくて助かるのだが、昔を思い返して現在と比べるとどうしても“地球温暖化”という言葉がよぎるのである。まあ、地球を憂えているヒマがあったら自分の生活を心配した方が良さそうな景気ではあるが。。。先週末の雪で、とうとうタイヤをスタッドレスに替えたのだが、いつもの悪い癖で、道路に積もってから知り合いの整備工場で交換をお願いするので、そこまで行く間に大変危険な状態も予想される。案の定、脇道から本道に出ようとハンドルをきったが、全く言うことをきかない。向こうから走ってきた車に危うくぶつかるところだった。というか、ハンドルもブレーキも利かないとわかった瞬間に半分諦めてしまった。『わ〜!こりゃ逝ったな!』そう思ったら、相手の車がこちらの状態に気づいたらしく、うまくハンドルをきって避けてくれた。ふぅ〜・・・助かったと思った瞬間であった(もちろん、経済的にという意味である・・・笑)。しかし、神様は帳尻を合わせてくださいました(爆)。いざ、整備工場に行ってタイヤ交換をお願いしたところ『一本だけ、パンクしてますよ』・・・げ!・・・ということで、タイヤ屋に行ってパンク修理となったわけである(泣)。。。その雪も翌日からの雨ですっかり融けてしまい、スタッドレスタイヤはわずか数日でアスファルトの上を走ることとなった。さて、今年のクリスマスは“ホワイト・クリスマス”となるのだろうか?
市町村合併
11月の月末に近いある日、ある方と逢って話をした。そのときに『任意協議会は今年中に設立される』という話を聞いた。本日の報道に、その件について書かれている。合併準備会が開かれ、任意協議会の設立についていろいろと話し合いがなされたということだが、年明けにはもう新市名の公募をするとのこと。果たしてどうなるかが楽しみなところであるが、反面、公募の結果「能代市」という応募が多かったらどうすんだろ?みたいな余計な心配もしてしまうのだが(笑)。それとも、「現在の市町村名は書かないでください」とかそういうのが要件として挙げられるのだろうか?・・・ま、応募要綱が出てからの話だな。。。それにしても、9日の市議会本会議の一般質問で『合併について住民意向調査を実施し、市民の判断を仰ぐべきではないか』という質問に対し『改めて賛否を問う考えはない』という答弁を豊澤市長がした・・・という記事を読んでオレは「お!強気に出たねぇ」と笑ったのだが、その実、今更何が何でも反対するという人もいないだろうと思う。それより、議員のみなさんは市民の代表なんだからアンタらがどうなのかを聞きたいね。責任をこっちに投げてこないで欲しいわ(笑)。
市議会
今議会の目玉商品?は、市町村合併と施設使用料金値上げ問題である。この施設使用料金値上げについては、「負担の公平性」「厳しい財政の健全化」を旗印にぶち上げた議案なのだが、当初から反対が予想されていたことも事実である。。。ちょっと横道に逸れるが・・・先日、PTA関係のイベントのために某施設を使用したいと申し込んだときに、主体が大人ではなく親と子がいっしょになって行うイベントであるということから、無料で借りられることになった。これは苦しい台所事情のPTAにとっては大変ありがたいことだと思った。が、これがまともに借りたらいくらになるのだろうか?ということで聞いてみた。約20,000円とのこと。20,000円かかるものが無料になるということで、逆になんだか心苦しくも思ったわけだが。。。さて、当初の予想通りというか(ちょっと違うか・・・)一連の議案は否決はされなかったものの、継続審議ということで決着がついた。それにしても、今回の議案についてはさすがのオレも「随分と唐突な・・・」と思ったのだが、前述の例を見れば“受益者負担”はしょうがないかな、という気もする。ただ、一月ほど前だったか、市職員の時間外労働時間及び手当が減ったという記事があったのだが、それと絡めて、もう一頑張りしてもらって残業手当を減らせば、使用料金に手をつけなくても・・・みたいな感情にもとらわれてしまう。もちろん、ワークシェアリングということにも、失業者の雇用機会の拡大ということにも繋がるわけだが。。。その実、オレもそういった施設を利用する機会が極めて少ないこともあって、この問題については賛成も反対もしないでおこう。って、オレがそんなこと表明したところで何の役にも立たないのだが(笑)。
気配り
「何かデカいイベントをやろうというとき、あらゆる問題点を探って不具合が起きないように努力するのが、主催者の義務である」。。。オレが常日頃心がけていることである。まあ、いくら気を遣っても何かしらの手落ちはあるものだが、今回は明らかに凡ミス!という話をしよう。先週の日曜日、能代山本の小中学校PTA主催で講演会があった。年に一度の大イベントであるため、読者の中にも参加された方がいらっしゃったことだろう。さて、事は参加者募集の時に遡る。各学校で参加者を募ったところ、あまりに少なかったと見えて追加募集までしたのだ。しかも「当校の割り当ては○○人で、その数に達していないため云々・・・」という文書である。気持ちがわからないでもない。せっかく遠くから講師を招いて、聴衆があまりに少なければ講師に失礼だということも承知している。ただ、その文書を見たときのオレの体調のせいだろうか、カチンと来たことは事実だ。。。まあいい・・・オレもこれまでに一度も参加したことがなかったから、行ってみようという気になった。さて当日、開始時間の15分ほど前に行ったところ、駐車場が満杯で停めるスペースが無い。やっとこさ、隙間を見つけて停めたのだが、すぐさま駐車場の係りの人が飛んできて「そこはマズイっス」と言われた。しょうがなく別の場所を探したのだが、やはり無いものは無い。特に誘導も無かったので、どうしたものかとキョロキョロしていたら「旧サティの駐車場を利用してくれ」みたいな張り紙を見つけた。そこでオレはブチ切れた。結局、講演を聴かずに帰ってきてしまった。どこが問題なの?旧サティ駐車場から、ほんの数分歩いてくるのがイヤなのか?・・・そういう疑問をお持ちの読者もいることだろう。では、主催者のミスを指摘しよう。。。昨年は9月末にやった講演会も今年のように12月にやるとなれば、天候のことも考慮しなければならない。吹雪でなかったが、時折雨がぱらつく強風の日だった。これは容易に想像がつくことだ。さらに、翌日の報道によれば聴衆は620人とのこと。文化会館大ホールのキャパからすると半分の人数である。それで駐車場は満杯なのである。追加募集までして、さらには学校に割り当て人数を強要し(大袈裟か・・・笑)動員をかけるのなら、駐車場にあまり置けないから近所の人達、あるいは同じ学校の人同士で乗り合わせてくるように等の注意書きのひとつもつけろってんだ!こういうのを手落ちと言うのだ!講師に「聴衆が少ないと失礼だ」などと気を遣うなら、聴衆にもそれなりの配慮をしろ!・・・ったく、今年の当番校、○○中のPTA会長!オマエに言ってんだ、( ゚д゚)ゴルァ!・・・テンション上がりすぎましたか?(笑)
久々に・・・
地元紙の読者のひろば・・・今日の投稿はなかなか読み応えのあるものばかりだった。。。既に午前0時を回り、アルコールと睡魔によってオレの目も回ってきたようなので、詳細は後日改めて書くことにする。。。というのも、某市議を暗に批判するような投稿があったのだが、彼女の性格からして必ずこの投稿に対する釈明なり反論があるものと予想&期待をしているからである。次週の“読者のひろば”を見てからコメントしたいと思う。。。さて、酔っ払いは死なず、ただ消え去るのみ(笑)。ダグラス・マッカーサーの名言をパロったところで、寝るとするか。。。アイ シャル リターン!

☆2003/12/28(Vol.60)

2003年も終わりだなぁ・・・
2週間のご無沙汰でした。タマおっきい宏です・・・なんちて、「ロッテ歌のアルバム」なんか誰も覚えちゃいねーよ>オレ。まあ、のっけから酔っ払いのオヤジギャグで始まった、今年最後の「何考えてんだよ」なわけだが、とりあえず一年を振り返ってみるとすっか。。。オレにとって2003年=平成15年を総括すると、ヤな年だったねー。最悪だったよ。自分のダメダメぶりを改めて感じた年だったな。自己嫌悪の塊。鬱になっちゃうね。このまま行ったら死んじゃうよ。。。なんて、年の瀬にこんな話題はよくないな。。。さて、去年の秋口から自分で勝手に盛り上がって年を越し、4月までの半年間。よくもまあ、こんなにハマってしまったねぇ、というのが選挙だった。いろんな意味で「変わる」という時期だったせいも手伝って、あちこちの選挙に首をつっこみ過ぎたね。いや、もちろん選挙運動したってわけじゃないんだけどさ、なんつうか、選挙ウォッチャーになりすぎたよ。でも、これってオレにとって何のメリットもないんだよね。大したデメリットもないんだけど(笑)。それが、5月に入ると「祭りは終わった」という感じで、状況を静かに見守るだけだったな。それ以降はPTA活動がむちゃくちゃ忙しかった。。。音楽活動はたいしてできなかったけど、普段とは違った分野に出て行って、それなりに楽しんだことは収穫であったが、それにしてもあっという間に一年が過ぎた。果たして、残ったものは?失ったものは?オレは何をしてるのだろう?どこへ行こうとしてるのだろう?・・・突然、詩人になるじゃんくすであった(大爆笑!)。。。
釈明
前号の最後に書いたんだけど、予想通り、次の週の「読者のひろば」に該当者の釈明投稿?があった。概略を説明すると・・・某市議の出した市議としての活動報告が配布されたのを見た読者が、市議として行政視察に行ったのに、名古屋城をバックに写真を撮ったりして観光旅行かい!みたいなツッコミを入れたわけだ。それに対して某市議は、「視察終了後に自費で残って個人的な用事を済ませた」と返答したわけだね。でもなぁ、帰りの交通費はどうなんだろ?視察ってのは、出発したところに着いて終わりじゃないのかなぁ。それを中断してプライベートに使うというのは、旅費に関してはどういった扱いをするのが妥当なのか?・・・まあ、よくわからんが。。。それにしても、自分を名指しで批判されたわけでもないのに、「お答えします」ってのもなんだか妙だが、そういったすばやい反応は好感を与えるよね、たぶん。。。とか思っていたら、今日の「読者のひろば」で先々週投稿した人がまたまた反論!・・・オレが思った「帰りの旅費」について触れていて、しかも「行政視察として称して、個人的な活動を配布するのはいかがなものか」ということらしい。言われてみれば、そのとおりなのだが。。。いずれにしても、これまではこういうことが無かったから、ちょっとおもしろいなとは思うが、このバトルがいつまで続くかどういう決着をみるのか、興味津々というところだね。・・・さて、市町村合併したら、議員定数は30人。果たして、現在の能代市議は何人残っていることやら(笑)。
議事堂の傍聴席
これも本日の「読者のひろば」から。。。このコーナーの5/25付Vol.50で書いたことがあるが、能代の議事堂は傍聴する人にとっては、甚だ環境の悪い傍聴席である。その件について、このたび初めて議会を傍聴した人が感じたことを述べているわけだ。階段状の傍聴席に手すりが欲しい。前列の柵の設置した白いボードが邪魔で、議員の姿が見えない。天井から下がっている照明が質問者と傍聴席のライン上にあって、眩しい。暖房の熱気が傍聴席に上がってきて暑苦しい。議会の進行が止まったときに説明がない。ということだ。まあ、前にも似たような投稿があって、音響設備のせいか、何を言っているのかよくわからないという声に対して、音響設備の改善をしたという経緯はあるので、いろいろと感じたことを言った方がいいだろう。2つ目の「白いボードが邪魔」という件に関しては、12/7付の「読者のひろば」でも投稿があって、それについての回答が今日付けで載っていた。それによると、以前は何もなかった(白いボード)が、5メートルの高さから下を見るという状態から来る恐怖感と、スカートの女性にとって不都合だという理由から、白いボードを取り付けたらしい。要は、こっちをたてればあっちがたたず・・・議会事務局も大変だね。。。さて、市町村合併となった場合、法定議員数の30人を新たな議員として選挙した場合、現在の議事堂でも十分なキャパはある。オレがガキんときは、36人だったからね。しかし、特例を採用して60人とか別の特例で128人とかになったら、この議事堂は使えない。。。難しいね。。。2年後のことを考えたら、無駄な出費はしたくないと思うかもしれないし、傍聴席に来る市民に対して、2年間我慢してくださいとも言えないし。。。ま、あんまり金のかからないことは、すぐにでもやると思われるが。。。
施設使用料
12月議会の最大の争点「施設使用料の値上げ」については、継続審議ということで落ち着いた。賛否両論。喧々諤々。まあ、よく利用する人にとっては大問題なのかもしれない。市民の大半はこの議案について疑問を持っていたはずだ。つうか、値上げは何でも反対だよな(笑)。しかし、前号でオレも「唐突だな」と思ったと書いたが、実は唐突でもなんでもなかったということが判明した。この値上げについては、何年も前から決まっていたことで、第四次総合計画だか第四次行政改革だったかでやることになっていたらしい。それを先送りして今まで放っておいたのを、改めて出してきたというわけだ。さらに、自民党議員が役員に名を連ねる体育協会でも「やむをえないだろう」という結論に達していたという。ならば、なぜ可決されなかったのだろう?いや、オレのように「唐突だなぁ」と思った大半の市民の代表が、なぜ否決ということをせずに、継続審議を選択したのだろうか?継続審議の先にはどういう結論があるのか?またもや“先送り”かぃ!みたいな。。。継続審議して否決とした場合、数の論理から言って自民系議員の反対で決まることになるわけだが、では、何年も前に「上げてもいいかな」と言ったことはウソになる。かと言って、市民の大半の「値上げ反対」という空気に逆らって、賛成したら・・・。いずれにしろ、過去にこういった経緯がありました、というような説明はしなければならないと思う。オレに言わせればこの件に関して「継続審議」というのは、単なる“逃げ”にしか見えない。否決なら否決でいいじゃないか。・・・つづく・・・。
財政難
うちの家計が苦しいのは言うまでも無いが(笑)、自治体も相当苦しいはずだ。今回の施設使用料にしても、わずか千数百万の増収ではあるが、行革は細かいところでちょこちょこやらないとなかなか進まないのも事実だ。寺田県知事が今回の財務省原案を見て『アッパーカットを食らった』と印象的な発言をしたが、地方交付税と赤字地方債で290億円も減らされたわけだから、このショックは相当なものだ。能代市だって同じこと。今日の地元紙の社説?を見ると、平均3億円が減らされるということだから、この金額はデカい。能代市の政策的経費が約10億円ということだったから、単純に7億円になってしまうということなのだろうか?7億円で何ができるか?年末ジャンボ宝くじの一等当選金(前後賞付き)2.3人分しか無いのだ(って、例えが悪いな>オレ)。それにしても今回のキーワード「行政サービス」と「受益者負担」、なかなか難しいね。いずれにしても継続審議としたわけだから、今後を見守りたい。
フュージョン?クロスオーバー?
たまには音楽の話でもするか。。。近頃、スーパーやホームセンターで買い物をしていると、同じようなBGMが流れていることに気づく。70年代後半に登場したクロスオーバーという音楽。当時は“ジャズとロックの融合”などといって、初期の頃はジャンルを「ジャズロック」と分類したレコード会社もあった。その後、80年ごろからフュージョンという言葉に変わり、インスト(インストルメンタル)と称することもあった。外国では、スタッフ、クルセイダースなどのグループ、ラリーカールトン、リーリトナーなどのギタリストが一世を風靡し、日本でも、渡部香津美、プリズム、渡辺貞夫、高中正義などの音楽が流行りだした。その後は、日本を代表する双璧として、カシオペアとザ・スクエアが天下を取る。一方、それまでもジャズとクラシック、ロックとクラシックを融合させた音楽はあったのだが、クロスオーバー(フュージョン)ほどの勢いは無かった。同じ時期、70年代晩年から数年間、YMOに代表されるテクノポップというジャンルが世界を翻弄した。発祥はもちろん日本・・・だと思うけど、よくわからない(笑)。。。あれから、20年余りが経ち、様々なジャンルの音楽が流行っては廃れ、歴史は繰り返すの言葉どおり、近頃は、すっかりオヤジになってしまったかつてのフォーク(ニューミュージック)シンガーたちが脚光を浴びたり、テクノが一部で大ブレイクしたり・・・。さて、冒頭の話に戻るが、フュージョンは歌が入らない分、BGMにはもってこいということだろうか、スーパーなどの店内で流すことも多い。また、ローカルCM(マニアには“映画館CM”とか“動かないCM”で通るらしいが・・・笑)のバックに使われることも多い。それまでBGMの定番だった、カラベリやポール・モーリア、リチャード・クレーダーマンなどに代表されるイージーリスニングに変わって、フュージョンが出てきたことは、音楽の歴史の中でも特筆すべきことだろう。。。いっぱしの音楽評論家みたいだな(爆)。。。そして、今日もスーパーの店内に流れるフュージョンに、懐かしさを覚えつつ、周りに気づかれないように小さく口ずさむオレがいる。
今年もごひいき、ありがとうございました。
このサイトも2000年6月の開設以来、3年7ヶ月が過ぎました。よくも、こんなに続いたなというのが正直なところです。先日、これまで訪問したサイトをあちこち回ったのですが、死んでる(閉鎖したり、更新していない)サイトの多さにびっくりしました。この私よりも、飽きっぽい人が多いのには驚きました。まあ、それぞれ事情はあるのでしょうが、ここのように、限られた方しか訪問しないサイトだから長続きしたのでしょうか?とは言うものの、明日はわが身。私も、ここをいつ閉鎖するかわかりません。それまでどうぞお付き合いください。読者が増えるとやる気が出るかもしれません(笑)。。。さて、2003年もあと3日。みなさんも今年一年をいろいろと振り返り、来る2004年を新たな気持ちでお迎えになることでしょう。越年事案を多数お持ちのみなさんも、せめてこの数日間だけは、のんびりと過ごしてみたらいかがでしょうか?来年も、「オレは怒ってるんだぁ!」をごひいきに、よろしくお願いします。

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