| その日男は超級の称号を得た。
特殊な能力はこれといって無く、真面目だけが取り柄の青年である。 だが誰一人なぜ、とは言わなかった。
男の仕事は細々とした依頼が多かったが、どれも依頼人に親身になり丁寧に正確に仕上げていた。 超級の号を得て驚いたのは、何より本人であった。 婚約者へ昇進を告げた後、口をついた言葉が「どうしよう」である。
超級の称号を持つ風水師は、彼を含めても十指に満たない。そのほとんどが名家の出身である。 ごく普通の家に生まれごく普通に育った男が、不安と驚きを感じるのも無理はなかった。 しっかりなさい、と叱咤してから、女は男を抱きしめてもう一言告げた。 「だいじょうぶ。これからこの街はもっともっと素晴らしくなるわ」 その囁きに、男はより強く愛する女を抱きしめた。
翌日。 さっそく第一の仕事が舞い込んだ。しかも、会議の長老から直々に、である。
滅多に目通り叶わぬ、いや一度も会ったことのない会議の上層部である。 陰界。
噂でしか聞いたことの無かった「空間」が存在するという。 男は頷いたものの、内心の不安を隠せない。 超級に成り立ての自分より、もっと他に適任者がいるのでないか。だが会議の決定は絶対である。 男は一礼し、風水スコープを受け取ると部屋を出た。
今晩行く、と告げると、婚約者は酷く寂しそうな顔をしたが、いってらっしゃい、とすぐにいつもの笑顔を見せた。 「初仕事の成功を祈っているわ」 そして引き出しを開け、小箱から何かを取り出した。 女が差し出したのは小さな鈴であった。「綺麗な音のするものは、魔除けになるから」
男は白い手のひらから鈴を拾い上げ、ちりんとならした。 「ありがとう。いってくる」
けばけばしいネオンが輝いているかと思えば、薄暗く猥雑とした路地がすぐ下にある。 そんな中、男の心のより所は、婚約者へのメールと、彼に良くしてくれる者たちとのおしゃべりだった。
今までの調査から、神獣として見立てられるべき物が、近くにあるかと分かった日の晩、 「寂しいねえ、一人とは」 隻眼のマスターが笑う。「いいや、いつでも一緒さ」 男は胸ポケットにしまった鈴を取り出し、ちりんと鳴らす。
はいはい、と隻眼は呆れたように肩をすくめた。男がここへ来るときは、 「明日その『神獣』ってヤツを見立てるのかい?」 「ああ。場所しか分からないが、きっと大丈夫だ。成功を祈っててくれよ」マスターはニヤリと笑うと、男のグラスに酒を注いだ。 「前祝いだよ」
胡同の奥に行くに従うほど、龍脈の強い力を男は感じた。大丈夫、こっちで間違いない。 見立てられるものは、果たしてどんなものだろう。陽界では山や川、建物だったりと様々である。陰界では一体何が? 鬼律の攻撃をかわしていくたび、どんどん力が近づいてくる。 角を曲がり鬼律を倒すと、一気に胡同の空気が晴れた。今のが最後の鬼律だったらしい。 神獣が近くにある。風水スコープを外し、羅板を取り出すと男は駆け出した。
だが。
確かに全ての手がかりは、ここを指している。胡同の奥のこの場所を。この「もの」を。
だが。
半ば石と化した男が、壁に眠っている。年の頃は自分と同じぐらい。秀麗な顔立ちの男だ。 これが、神獣!? 人間じゃないか!!
不意に、ゆっくりと石の男は目を開けた。 静かな静かな光をたたえ、石の男はこちらを見つめる。唇が小さく動いた。まっていたよ、と。
男は羅板を取り落とした。ガラガラと耳障りな音だけが胡同に響く。 そんなことが出来るわけがない。 神として永遠であることが、人として生きているということではない。家族は? 友だちは? 恋人は? この男が神となったら、彼らはどうするのだ?この男の「人生」を終わらせるのか? だが陰界の風水は正さねばならない。引導を渡すのか。自分が? しなければならない。できない。 しなくては。できるはずがない。 数々の手がかりはこの男を指している。それが全て間違いでは? そんなはずはない。
人を、見立てるなどできない。 家族や恋人に何と言えばいい? あなたの大切な人は、神様になりました、とでも!?
自分が彼の立場だったら? 残される者だったら?
だが遅い。 一度途切れた集中力は、二度と回復しなかった。
男が最後に思ったのは、
ちりん
バーのカウンターで、隻眼の男はふとグラスを拭く手を止めて入り口を見た。 アパートの一室で、女は待ちかねた笑顔で台所からドアへと飛び出した。 だがバーに客は訪れず、アパートの玄関にも誰の姿も見えなかった。
石の男は、その優しい涙を流した。
球を見つめていた老人たちは、一斉にため息をついた。 「あれもかなりの者であったのに」 「仕方あるまい、所詮は捨て駒」「資料は無事だろうな?」 「自宅の機械へ送っているようだ。後で取りに行かせよう。婚約者が居るようだが構うまい」「さて、次は誰を?」 「やれやれ、もう何人目だ?」「あれの資料次第だが……この分ではやはりあの者しか居らぬやもしれん」 「あの厄介者か」「適任じゃろう。これ以上超級風水師を減らしたくはない」 老人たちは頷きあうと、秘書を部屋に呼び入れた。 男が送った数々の「資料」と婚約者の行方は、杳として知れない。 小さな鈴は、まだ胡同のどこかにある。 |
華天作。
本編の超級風水師の、前任者の話です。
陰界へ派遣するって、結構な賭だったと思うので、会議の上層はかなり「実験」をしたんじゃないかなぁ、と
意地悪な考えをベースにして書きました。
ちょっち分かりづらい気が……。
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