農家の納屋や道端の堂で夜露をしのげど、十分な休息もとれず食事も無いに等しい。走りづめだった馬は既に倒れ、供の数も一人二人と減ってくる。
 蓮や煌が身に着けていた宝飾品も夜毎に消え、林を見つけた頃には、朱摩の耳飾りさえ無くなっていた。ただ同然の物まで持っていく浅ましさよりも、耳元の事も知らずに眠っていた自分に苦笑した。

 針葉樹の林は意外に短く、浜へはすぐに出た。
 遠浅の重沙の海岸は夏空を映して輝き、彼方で青い境を溶け合わせている。潮の濃く薫る風が、煌の額を吹き上げ、朱摩の髪を煽り、蓮のうなじをすり抜けていった。
 涼しさに身を委ねてしまいたかったが、風を散らすように首を振り、朱摩は休める場所を探した。

 少し歩いた所に小屋が見つかった。もう誰にも使われていないらしく、木の屋根や壁は大きく傾いていた。扉は朱摩が入れるほどしか開かず、薄暗い中には壊れたびくや網などが無造作に置かれていた。
 わらの筵を見つけ、外でほこりを払った。ぼろぼろだが、今までみたいに地面に直に横になるよりは、幾らか楽になるだろう。
 言い訳のように考えながら、朱摩は筵を敷いた。
 蓮と煌は波に足を浸しながら、ぼんやりと水平線を眺めていた。
 声をかけずに二人を見つめ、視線の先に目を移す。海を追う内、朱摩の顎は天を向いていた。海と空はつながっていた事を思い出しながら、ぐるりと林へ顔を下ろした。

 深い緑の中に、異なる色が混じっていた。
 鮮やかな赤い色が、ひらひらと緑の中を揺れ動いている。目を凝らし数歩踏み出した朱摩を確認したように、赤い色は動きを止めた。木の陰から黒鉄の姿がゆっくりと現れた。
 朱摩はその男をじっと見た。男も朱摩を見つめる。目眩がするのは強い陽射しのせいばかりではなかった。
 男は身を翻すと、赤い布をはためかせながら林の中に消えていった。

「今のは可国の斥候じゃな」
 いつの間にか側へ来ていた蓮が呟く。両手を握り締め、煌がはっと息を飲んだ。
「申し訳ありません」
 朱摩は砂に膝を付いた。
 煌がそっと肩に手をかけたが、顔を上げられなかった。何よりも恥ずべき事実が発覚したのだ。できるなら砂粒と化してしまいたかった。
「あの者は、我が一族の者でございます」
 消え入るような声で告げる。蓮と煌が息を飲むのが聞こえた。
「見間違うはずはありません。軍律に背いたため、私が罰した者です。……まさかこのような事になるとは」
 長い長い間の後、蓮が小さい声で言う。
「そやつが口笛を可国に教えていたのだな」
 うつむいたまま朱摩は頷いた。
 旦伊。口の中でその名を呟く。兵糧を売り人を殺して舌を切られた男が、一族をも裏切ったか。
「あちらの小屋にてお待ち下さい。じき、程将軍の船も参りましょう」
「朱摩は?」
 不安げに尋ねる煌へ、朱摩は優しく答えた。
「すぐに帰って参ります。あの者を倒して」
「いいよ!入らない!」
 驚いたような必死の顔で、煌は立ち上がった朱摩の腕をつかんだ。
「行かなくていい。斥候くらい、放っておいても平気だから」
「いえ……陛下と公主をお守りするためだけではありません。慶族の誇りを守るためでもあるのです。どうか、お許し下さいますよう」
 最後の一言は、蓮へ向けて告げたものだった。
 傍らで剣の鞘を押さえるように立っていた蓮は、すうと身を離し、唇の端を上げた。
「行け。煌は私が守る」
「姉上!」
 煌が泣きそうな声を上げたが、蓮は構わず続けて言った。
「ただし、早う戻ってくるのじゃぞ。私が達者なのは馬と口だけじゃ」
 蓮の微笑には、不安も心細さも何一つ見られなかった。朱摩も笑みを返した。
「はい」
 蓮は頷くと、嫌がる煌を引きずるように廃屋へ向かった。

 扉の内へ入るのを見届け、朱摩は大きく息を吸った。
「さて、最後のご奉公だ」
 呟くと、潮風を背後につけ、林へと歩き始めた。
 獲物を捕らえる鷹の如く、鋭い口笛を鳴らして。


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