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夏草の向こうに立ち上がったのは、決して陽炎ではなく、黒鉄色の鎧だと誰もが認めた。 「敵襲っ!」 待ち伏せに耀の人馬は色めき立つ。思うように陣立てのできぬまま、耀・可二国は入り交じった。 朱摩は蓮公主の姿を探した。公主が朱摩のもとを去ってから、それほど時は経っていない。まだ国王や将軍の側には着いていないはずだった。 果たして、公主は戦場の直中にいた。緑の騎馬に幾重にも守られ、自らも抜刀している。 が、戦ごっこではない本物の殺し合いを目の当たりにし、先ほどの凛とした様子は影を潜めていた。 弓を満月に引き絞る。鷹羽の矢は公主を遠的に据えた可国の射手に命中した。 続けざまに矢を放ち、黒鉄の甲冑を草むらへと沈める。 「公主を陛下のもとへ!」 込み合った馬の間から、白馬が押し出されてきた。だが騎乗する蓮は青ざめたまま、幾ら声をかけても呆然としている。 朱摩は口笛で、思いきり強く名を呼ぶと、高音に反応するように、蓮は目を醒ました。 「本陣へ参りましょう」 蓮は頷いて馬を走らせた。剣を返し矢をはね除け、朱摩も後に従う。 本陣では既に退却の準備が始まっていた。 一際大きな緑の甲冑が、焦る兵士を勇気付けるように太い声を張り上げていた。その隣には彼のせいでより小さく見える少年が、青ざめながらもしっかり手綱を握っていた。 程将軍と国王・煌であった。 「一度軍を浪川(ろうせん)の城まで戻す。後詰めは周隊、他は速やかに退却せよ!」 程将軍の命令を、慶族の若者が鏑矢を放ち鳥の声で伝える。だが言い終わる前に、若者は鈍色の矢に貫かれた。朱摩は駆け寄り、噛んだ唇を解いてその続きを告げた。 「待ち伏せとは……可国の間者か!」 口惜しげに程が叫ぶ。虎よりも険しい目で戦場を睨んだ。 「口笛が読まれたのではあるまいな」 何気なく蓮は言ったのだろう。だが朱摩は激しく否定した。 「いいえ! 口笛にだって訛りや癖があります!慶の口笛は慶にしかわからない!」 口笛は慶族の中でも廃れつつある。 若者のほとんどが山を下り、麓の町や都で働いていた。田畑は耕す者がおらず、口笛で会話する必要もなくなってきた。この従軍も、挨拶程度しか吹けない者を訓練してきたのだ。 自分達ですら捨てようとしているものを、幼い煌王は必要だと言い、事実幾度も役に立ったのだ。朱摩にはそれが何より嬉しく、誇らしかったのに。 「……済まぬ」 小さな声で、蓮が謝った。 疲労した身体と心に鞭打って、耀国軍は浪川の居城へとひた走った。 しかし草原で兵の多くを失い、途中も幾度か襲撃を受けた。いずれも小さなものだったが、陣立てを見抜いているかのように要を攻撃してきた。 予想外に時間もかかり、浪川へ着く頃には半数を少し越えただけの人数となっていた。 城の周りは戦場の喧噪が嘘のような静けさである。程将軍が開門の声を張り上げた。 鎖を軋ませ、城を巡る堀の上に橋が降りてくる。土煙が消えると、橋の奥から宰相の耀公が現れた。 「軍議に入る。各隊の隊長はすぐに集合せよ。兵や馬を十分に休めるように」 程が指令を出し、朱摩が伝える。人馬は力無く城門をくぐった。 「入っては行けません!」 突然耀公が叫んだ。 「外へ!この城はもう……!」 途端に頭上から矢が降り注いだ。針山となって耀公は倒れ、次いで城内から可国の兵が現れた。 大きな音に振り返ると、城下の景色がみるみる狭まってくる。 「橋が閉じる!」 叫んで朱摩は弓を構えた。 彼の声に呼応して、耀国兵も門番へ向けて矢を放ち、剣を抜く。数十人が斜めのままの橋を上がったが、朱摩は馬首を返し前庭を一気に駆けた。 「何をする!耀国王と知っての狼藉か!」 煌を捕らえようとした可の兵に、蓮は大声を上げ抜刀した。だが剣を振るう事ができず、両手でつかみかかろうとして逆に振り払われた。馬から落ちた蓮に、可国の刀が光る。 「公主っ!」 程将軍が腕を差し出した。鈍い音が響く。 次の瞬間、程の右手の銀光閃き、可の鎧が二つに裂けた。切り落とされた程の左腕が、蓮の傍らで音を立てた。 「程将軍!」 「海へ出て東へ!」 蓮と煌の悲鳴を、程はわざと遮った。吹き出る血は飾り羽根のように甲冑を彩っている。朱摩は肩から領巾を外し、程の左腕をきつく縛る。布はすぐ暗い赤に染まった。 「浪川の河口に林がある。そこを目印に船を持っていく。速く行け!」 程の言葉に朱摩は頷いた。 ふらふらと気絶しそうな蓮を自分の馬に抱き寄せ、鞍の前に座らせる。後ろには煌を乗せ、 「しっかりおつかまり下さい!」 「私は大丈夫!姉上を落とさないで!」 蓮のような言い方を、朱摩は少し意外に思いながら、馬の腹を強く蹴った。 半開きのままで止まった橋を一気に駆け上り、躊躇う事なく飛んだ。堀の縁ぎりぎりに着地する。三人も乗せているのに、馬はよく堪え、すぐさま走り出した。 怒号に包まれた町の中を一気に駆ける。 続く緑の鎧はわずか十数名。日の暮れる前に城下を抜け、街道を海へと向かった。 |