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陽射しの強さに萎れた草が、一気に気勢を取り戻すかのように、濃い緑の甲冑を着けた耀国の軍が、草原の西へ馬を進めていた。
朱摩は馬上で赤い領巾(ひれ)を羽織った。あぶみを鳴らしてしまうほどの緊張が、日向の雪と消えて行く。出陣を前に細波立つ心も収まり、波紋が消え、やがて透き通ってくるように感じられた。それほど好きな色ではなかったが、赤の領巾を結ぶと何故か朱摩は安心した。風に煽られた長い髪を手早く編んで背に垂らす。 耀国の北方、天山の山中に点在する小村の一つが、彼が長を務める慶族の村である。天山は半自治区、本来ならば、戦に出るのは兵役についている者のみである。 参戦の条件が完全自治のみだったら、ここにはいなかっただろう、そう朱摩は思った。 未だ雪深い春の天山を、数人の供のみで訪れてきたのは、耀国王その人だった。病で父母を失い、即位した途端に隣国の可(か)から攻め込まれてしまった十一歳の王。幼い王の不運さに同情はしたが、首を縦に振ろうとは考えてはいなかった。 しかし、煌王の雪焼けした顔に浮かんだのは、不満でも苦痛でも泣き言でもなく、ふうわりとした笑顔だった。会えただけでもよかった、そう言って王は笑った。 その笑顔に惹かれ、朱摩は加勢を承知した。 戦場はもとより宿営地や城で交わされる口笛を、鳥が好きだという王は懸命に真似た。その可愛らしいく尖った唇を思い出して、朱摩はゆっくり微笑んだ。国王に一つだけ意味を教えた口笛を鳴らす。 小さく吹いたつもりだったが、追い風に乗ってしまったのか、前方から程将軍が馬を返して朱摩のそばに駆けてきた。 「どうした?」 だが朱摩が返事をするより速く、将軍は片眉を跳ね上げた。 「また領巾を着けてるのか!命がいくつあっても足りんぞ」 怒鳴られ朱摩は首を引っ込めた。 濃緑の甲冑をまとう耀国軍の中、赤い領巾は一際目立つ。慶族の仲間は、誰一人として戦場で伝統色を身に着てはいなかった。だが緊張しては口笛が上手く吹けない。目立つ事を恐れていては、伝令として何の役にも立たないのだ。 「申し訳ありません、将軍。ですがこれがないと緊張して……」 「唇が震えるのだろう?わかってるさ。だが、的を高々と掲げているようで心配なんだ」 「お心遣い、感謝いたします」 「いや。伝令方法を変えてから戦況は上向きだ。これからもよろしく頼むぞ、若長殿」 差し出された右手を、朱摩は恐る恐る握り返す。程は容貌と裏腹の人懐っこい笑顔を見せた。飛虎と呼ばれる勇猛な武将が、目の前人物だとはなかなか信じられない。 「それはそうと、あの男はどうした?罰はお主に任せるという沙汰だったが……」 「旦伊(たんい)ですか」 朱摩は眉を寄せた。 「舌を切って、村へ帰しました」 「随分厳しいな」 「当然です。兵糧を横流しした上、商談に応じない農民を殺すなど、兵としても人としても許されません」 「それにしても舌をねぇ」 程は目を剥き、大げさに身震いをする。 「手当はしたので、もう平気な頃でしょう。言葉で償いきれぬものは、心で償わねばならない……慶族の一番重い罰です」 苦々しく言う。 「天山の雉子(きじ)は信頼されないと困るのです」 「まだ雉子なんて言う奴がいるのか。その雉子が軍の鍵だっていうのに」 その時、後方から鏑矢(かぶらや)が上がった。伝令の合図に耳を澄ますと、鳥のような声が届く。 「何と言っている?」 「はい……レンコウシュが向かっている、とのことですが?」 朱摩が首を傾げた言葉に、程は手綱を誤り馬を立ち上がらせた。兵士達も騒ぎだす。 「蓮公主だと?何故戦場にいるのだ!」 「どのような方なのですか?」 「馬鹿者!国王陛下のの姉君だ!」 ざわめきが後方から静まってきた。 やがて人垣が割れ、一筋の道が現れた。中央を少女がこちらへ進んでくる。黒髪をきりりと結い上げ、雪白の馬にしゃんと跨り、細工もあでやかな緑の鎧をまとっていた。 「来たぞ、将軍!」 涼やかな声で耀国公主蓮は告げた。 「遠乗りの約束、よもや忘れてはおるまいな」 「忘れてはおりませぬ。おりませぬが公主、戦場(いくさば)でとは、いかに耀国一の駿馬といえど危のうございます」 「何を言うか。私は煌より遥かにも馬が巧みじゃぞ。後ろでじっとしているのはもう飽き飽きじゃ」 程将軍はわざと大きな溜息をつくと、傍らでぼうっとしている朱摩を呼び寄せた。 「公主、これなるは耀軍の伝令を司どる慶族の長、朱摩にございます」 程将軍が紹介する。朱摩は慌てて馬を飛び降り膝をついた。 「ほう。では朝の鳥の声もそなたらか?」 「御意」 「そうか。毎朝の口笛のお陰で、私は朝起きがようできるようになったぞ」 「も、申し訳ございません」 「いや。お陰で将軍は戦で亡うなる前に、私との約束を果たせる。礼を申すぞ」 その笑顔の花のようなこと。顔中に血が上るのを感じ、朱摩は慌てて深く頭を下げた。噂通り生意気なわがまま姫のようだが、この笑顔の前ではそれすら彩りに思われる。 「公主がおいででは、新たな陣立てを考えねばなりませぬ。しばし失礼いたします」 やれやれと冗談めかしてぼやきつつ、程は国王のいる隊の後列へと馬を走らせた。 天山の珍しい話をしてくれとせがまれたが、朱摩にとっては口笛すら日常である。何を話せばいいやらと逡巡してるのを察したのか、蓮はいろいろ尋ねてきた。 「そなたらは何故口笛で話すのじゃ?こうしてみると、普通の言葉も話せるようだが」 「慶族の村は、天山の狭く急な斜面にございます。隣の家に行くにも、山登りと同じほど。昔は言葉を話す鳥を使ったそうですが、よく間違えて伝えるので、人間が鳥を真似たのでございます」 慶族に伝わる昔話を二、三話すと、蓮は面白そうに聞いていた。 「そうじゃ、朝の口笛はは何と言っておる?」 「前へ……前進の合図でございます」 「私や煌の名はどう言うのじゃ」 頷いて、朱摩は二つの口笛を吹いた。 「頬白(ほおじろ)に似ておるな。煌は鶺鴒(せきれい)のようじゃ。最後が二つとも似ていたが……?」 朱摩は驚いて蓮を見た。 「最後を高い音で締めくくるのは、目上の方に対する礼儀にございます。よくおわかりになられましたね」 「鳥が好きじゃからな。来世、鳥になっても困らぬよう、鳴き声はたくさん覚えている。そなたは今すぐ鳥になれるぞ」 そしてまた蓮は笑った。目元のきつい顔立ちだが、笑うとかえって清々しい印象を与える。ふんわりとした煌王とは対照的だが、朱摩にはどちらも好ましかった。 「ご姉弟で、鳥がお好きなのですね」 「煌か」 蓮はわずかに眉をひそめた。 「朱摩は煌をどう思う?良き王と思うか」 「はい。辺境の村へおいでになられた時は、大変感激いたしました」 「そうか」 蓮は小さく溜息をついてうつむいた。 「他を第一に考える良い王じゃと、皆褒め称えるが……私にはそう思えない。朱摩には悪いが、雪崩に遭ったらどうするつもりだったのじゃ。あまりにも自分を考えなさすぎる」 「己を二の次にされる王は滅多におりません。とても良い事と思われますが」 「ああそうじゃな。他人ばかり考える国王に代わり、政務は私が行おう。出しゃばりと言われようが、王と民の御為に尽力しようぞ」 捨てるように言って、ぷいと横を向く。 「まあよい。邪魔をしたな、煌の所へ行く」 朱摩に口を開く隙を与えず、不機嫌な顔のまま蓮は白馬を走らせた。 王を心配しているようにも聞こえたが、この物言いでは誰もそうと気付くまい。宮中ではさぞ浮いているのだろう。走り去る蓮の後ろ姿を見送り、朱摩はそう思った。 雲海のように果てない草原を眺める。風が吹き、丈のある草がざらりと揺れた。 朱摩は怪訝に目を細めた。 何かが違う気がした。風の匂いか草の揺れか、とにかく違うと感じたのだ。 将軍へ、そう思って馬の腹を蹴った時。 鬨(とき)の声が上がった。 |