うたかたは 果たして夢か 現世か
[8]
[8.1]
ジャッキー・ウォンは、エレベーターを降りた途端、黙り込んだ。
病室のずらりと並ぶ廊下には、甘やかな花の香りが漂っている。花屋かと錯覚するぐらいだ。
香りの出所はすぐに分かった。『久遠月日子様』とプレートのかかる一室である。ノックしてドアを開けると、一層香りが溢れ出し、思わずウォンはげふんとむせ、慌てて閉めた。
ちらりと見えた室内は、花束でカラフルに埋め尽くされていた。全て『ファン』からのお見舞いだろう。昨日の今日だというのに、流石は連盟の捜査官、と妙な所で感心してしまう。
「こんにちは」
突然かけられた声に、ウォンは飛び上がった。振り返ると、病室の主であるはずの久遠が立っている。
「くくく久遠捜査官! 大丈夫でしたか?」
「ええ、今検査から戻ったところです。わざわざ来て頂いて済みません」
久遠の表情はいつもとさして変わらないが、黒髪と対照的な白い包帯が痛々しい。ウォンの目線は、どうしても包帯へ行ってしまう。
「お見舞い、すごい数ですね。さすが連盟の捜査官だ」
ああ、とドアの向こうを見て久遠は苦笑する。
「昨日の放送直後から殺到したらしいですよ。目が覚めたら、一面の花畑でびっくりしました、死んだかと」
久遠にしては珍しく冗談を言ったのだが、ウォンは唇をひき結んだままだった。
「そうだ、中庭に行きませんか? 今カーニバルの飾り付けをしていて、とても綺麗ですから」
それに、と久遠は眉をしかめる。
「病室は花の匂いでクラクラする」
「……行きましょう」
ウォンは頷いた。
[8.2]
火星移民を記念する祝祭が、五日後に迫っていた。移民祭は毎年行われているが、今年は特別である。移民200年という大祭となるからだ。街はいつも以上に華やかに飾られ、人は祭りの趣向に期待を巡らせていた。
病院の中庭も美しく飾られている。木々には電飾がかけられ、中庭に面する壁にも、入院している子ども達による様々な絵が描かれていた。
「実はリポーターを辞任しました」
ベンチに掛けると、ウォンは告げた。
「連盟の方から何か……?」
「まさか! 昨日の映像、視聴者からの苦情が凄かったんですよ。捜査官の邪魔になるとは何事だ、とね」
苦笑する。
「まあ喜ぶべき事なんでしょうね。私達の報道が連盟や捜査官の不利益にはならなかった、と」
久遠は黙って曖昧に笑った。確かに支持率は危惧した程落ちた訳ではなかったが、捜査官が不覚をとったことに変わりはない。
「放送後、異動命令が出ましてね。今日一日、休暇を貰って、明日からは別の番組を担当します」
「そうですか……」
「あ、気にしないで下さいね? 『ザ・エージェント』は、体力的にそろそろきつくなってきてたんで、丁度いい機会だったんです」
軽く下げた久遠の目線が、小さな瞳にぶつかった。いつの間にか二人の周りを、点滴台を持ったり、車椅子に乗った子ども達が取り囲んでいた。
「久遠、痛い?」
「だいじょうぶ?」
心配げな表情が次々と現れる。
「大丈夫だよ。お医者様に治してもらったからね」
子ども達の頬を優しく撫でる。
「ほんとう?」
「本当だよ。ここの先生たちは火星一だもの、すぐに治ったよ」
「でも、包帯、痛そう……」
「これはTV用。ほら、マーズTVの人が来てるだろう?」
子ども達の眼がウォンを向き、本当だ、と笑顔が広がる。
「がんばってね、久遠」
「ありがとう。そうだ、私の病室に行ってご覧。頂いたお花やお菓子があるから、好きなのを持っていっていいよ」
「いいの?」
「グラウエン、いる?」
「うん、そろそろ来てる頃だよ」
久遠が頷くと、子ども達は顔を輝かせながら病棟へと向かっていった。
「大した人気ですねぇ」
「TVのおかげですよ。無垢な憧れを向けられれば、それを裏切る事なんか出来ない……思えば最高の審判です」
「結構役に立ってるんですねぇ。良かった良かった」
ウォンは立ち上がった。
「さて、そろそろ帰ります。頑張って下さい」
右手を差し出す。久遠はその手を握り返した。
「あなたも」
ウォンを見送ると、久遠は再び腰を下ろした。子ども達が病室にいるだろうが、あの目眩が起きそうな香りの中に戻る勇気は、流石の捜査官でも持ち合わせていなかった。
[8.3]
部屋に一歩入った途端、D・Dは歓声を上げた。
「まあ素敵、天国にいるみたい!」
一緒に入ったグラウエンは歓声こそ上げなかったものの、素早く部屋のあちこちに眼を走らせ、お目当てのものを見つけるとにんまり笑った。
「月日子は、まだ検査かしら? 心配ねぇ……」
「そうですねぇ。月日子が元気にならないことには、次の計画が立ちませんから……」
さりげなくグラウエンは、お目当てのもののそばに立つ。D・Dは空っぽのベッドの縁にすとんと腰を下ろした。
「そうそう、その計画の事なんだけど」
「どうしました?」
「上手くいくかしら?」
「酷いですよー、信じて下さいよぅ」
はにゃ、と情けなく顔をしかめて、グラウエンが哀願する。
「そりゃあ、心配する気持ちは分かります。あなたや月日子に、大きな負担がかかってしまいますから……」
「一番負担の大きいのはあなたではなくて、リチャード?」
藍色の瞳が真っ直ぐに見つめる。
「そんな事はありませんよ。むしろ光栄なぐらいです」
そう、と言ったものの、D・Dの眼は納得していない。にこにこと微笑むグラウエンを、じっと見つめている。
「でも……この計画について、まだ私にも隠していることがあるんじゃなくて?」
「いやだなぁ、D・D」
やれやれ、とグラウエンは腰に手を当てる。
「あなたを騙す事なんか、この火星の誰一人としてできっこないんですよ。お忘れですか?」
「……そうよねぇ……そうなんだけど。何かが、こう、ひっかかるの」
「何かって、何ですか?」
「それが分るぐらいなら、あなたに聞いたりしませんわ」
「そりゃそうですねぇ。まあ、あとは上からのGOサインを貰うだけです」
ふぅと息を吐いたグラウエンは、ドアの隙間から物影が蠢くのを見つけた。ドアを開けると、雪崩れるように子ども達が室内に入ってきた。
「うわぁ、すげー花!」
「『電脳』もいるんだ、すごーい!」
「おチビさん達、どうしたんですか?」
しゃがんで尋ねると、
「本物だー!」
と次々とグラウエンの背中に飛びついた。
「さっき中庭で久遠と遊んだの」
「久遠がね、お部屋でお花やお菓子を貰っていいって」
「あら、じゃあみんなで一緒に食べましょ」
D・Dが微笑むと、子ども達は歓声を上げた。
三人をおぶったままのグラウエンは、何とも情けない顔で、D・Dが取りだしたケーキの箱を見つめる。老舗『パドゥシャ』の包みである。真っ先に開けられたそれは、さっきから彼が狙いを付けていたものだった……。
[8.4]
司法局次長ウォルト・スペクターは、禿頭を抱えて唸っていた。目の前には、グラウエンの書いた企画書。確かにこの方法は『電脳』ストーカーと連続殺人犯を一網打尽にできる可能性がある。あるが、しかし。
許可できるかー! と破り捨てたい衝動を堪えるのに必死だった。
可能性が高いのと同時にリスクも高い。高すぎる。失敗した場合、失うものがあまりにも大きい。
しかし猶予は許されない。
スペクターは散々唸った挙げ句、書類にサインを施した。
[8.5]
同時刻、情報局長も唸りながら、同じ企画書にサインをした。
そして火星史上最悪の「carnival」が始まろうとしていた。
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まだスランプの途中です(爆)。書いて勢いをつけようと試みてます。
がんばるぞ。ようやくタイトルが何なのかもわかってきたし(←オイ!)
・・・タイトル倒れにならないようにしなきゃ(汗)
華天 拝