ヒトはいつも目に見えぬものに縛られている
例えば、心


[16]

[16.1]
 ブレイン・データベース、シンク・ブレインの両計画は同時進行されていった。あたしもアレスも、それぞれがどちらか一つを担当すると思っていた。あたしはブレイン・データベースを希望し、アレスはシンク・ブレインを望んでいた。同じようにして生まれたあたしたちだけど、適性への自負はそれぞれ持っていた。

 ツキヒコは徐々に記憶を取り戻していった。話すこと、歩くこと、自分の名も周囲の人々も思い出し、一年も経つ頃にはすっかり元通りになっていた。

 あたしは研究に没頭した。ネバーランド理論やシステムのことを考えている間は、自分でしたあの嫌な行為を忘れていられるからだった。アレスもまた様々な研究を重ねており、どうしても負けなくなかったからでもある。

 事件から数年後。完成した二つのシステムの移植が行われることになった。アレスとツキヒコが十四、あたしは十六歳になったばかりだった。
 あたしとアレスはドクターの前へ進み出た。ブレイン・データベースを。あたしはそういい、アレスはシンク・ブレインを希望した。ドクターは微笑んで頷き、まずはあたしから手術台に横たわった。

 麻酔を吸い込むと少しずつ意識が遠のいていく。研究していたもう一つ、シンク・ブレインは、眠っている間に全てを『訂正』できるようになるはずだ。薄めたネバーランドを使い、まさに楽園のような優しさで。もしかしたらこんな感じなのかもしれない。麻酔からほの甘い花の香りがしているように。

 そんな風に思いながら、あたしは深く眠った。


[16.2]
 記憶の訂正は、シンク・ブレイン・システムによって行われていた。上位の脳波により訂正を行う。中継点は火星中に幾らでもあるし、何より『下地』が整っているから、どれもスムーズだったという。

 訂正を執り行うのは、D・Dだった。
 彼女は、ブレイン・データベースの他に、シンク・ブレインさえもその内に備えていたのだ。

「D・Dにばかり負担をかけて、と思うかしら? けれど素質と訓練で脳は二つのシステムを受け入ることができたの。まだまだキャパシティがあるわ。すごいことだと思わない?」
「……グラウエンは? 素質と訓練と言ったな。なら素質は半分、訓練も受けていない奴はどうなるんだ」

 久遠の眼差しに、ビアスは小さく溜息をつく。

「本来ならば、脳の未使用部分を使えるようにしなくてはいけないわ。そうね、初期化のようなものよ。D・Dは元もと使える部分が多かったけれど、長い時間をかけて訓練もしたわ。グラウエン君は、理工学系が得意そうな感じだったけれど、BDのバックアップとしては全然足りなかった……」

 だから、とビアスは処置台の二人を見比べる。長い髪と、短い髪。どちらも見事な金色。ヘッドコンデンサは彼女らに食いつく毒蛇のようだ。

「だから、ね。今既に使っているところに、データを入れているの」

 例えば、手足を動かす部分。
 内臓を司る部分。
 五感を受けとめる部分。
 現在使用中の場所に、データは上書きされていく。D・Dと同じ場所へは移動不可能。入出力機能が使えなければ意味がないから。
 久遠の全身に粟が立つ。

「処置が終われば、グラウエンはただのデータ保管庫か? ただ寝てるだけになるのか。冗談じゃない、ビアス、あんた何様のつもりなんだ」

 何も、と厚い肩をすくめる。

「私にとって、人間は興味深い研究の対象にすぎないわ。いいえ、プロジェクトに関わった者はみんなそう思っているんじゃないかしら。脳の深さしかり、ESPしかり、私たちは自分自身をまだまだ知らなさすぎる」
「何を知れば気が済むんだ」
「あなたと同じよ。全てを知りたいだけ」
「人を殺すような真似をして得られるものが、崇高であるはずがない」
「崇高かどうかは研究者自身が決めること。地球時代、中性微子の質量を測ろうと科学者たちはやっきになっていたけど、重さの有無が証明されても日常生活には何の影響もなかったわ。けれど宇宙の創世の一端を掴むことができた。崇高さは、己によってのみ確率されるのよ」

 捜査官のように、自身の正義と信念をわかりやすくアピールできる職種ではない。だから誤解されても構わないのだ。師であるツキヤ・クドーがそうだったように。

「あなたのお父様も、強い信念を持っていたわ。脳をもてあそぶ狂信科学者と言われても、自分の研究とそれの及ぼす効果について微塵も疑わなかった。その強さの通り、今、二つのシステムは火星にとって重要なものとなっている」

 それに、とビアスは続けた。

「望んだのはこの人よ。私はきちんと話したわ。彼の適合率からデータの上書きによる影響について。以前の調査結果も話したわ。けれど彼は頷いたのよ。自分と久遠月日子を比べれば、どちらを残す方がより良いか、自ずとわかるでしょうって言ってね」
「バックアップを止めさせろ」

 久遠は銃をビアスに向けた。

「無理。もう半分近くは終わっているもの」
「止めさせるんだ」
「無理。それとも言い換えましょうか、無駄だと?」

 ビアスは平然としたままだ。

「ねぇ久遠くん」

 呼びかける。久遠の注意がふと動いた瞬間、素早く銃身を掴んで胸ポケットのボールペンを銃口に差し込んだ。

「注意一秒、怪我一生」

 ね、とニッコリ笑う。

「このまま撃ったら暴発するわよ。下手すりゃ二人とも死んじゃうわね。でもあなた、死ぬのなんて怖くないでしょ? 私もよ。暴発なんて関係ないわね。だけど死ぬのがあなたでも私でも、カーニバルは始まるわ。D・Dはパレードに出るし、グラウエン君への作業も続くの」

 言うな否や、ビアスは銃身をひねって奪い取った。処置台の方へ放り投げ、追って走る久遠の髪を引いて倒す。が、首に伸ばした手は久遠に掴まれ、手首を逆に極められた。激痛に顔が歪む。
 その隙を突いて久遠は起き上がり、ビアスの肩を蹴り上げた。巨体はどうと転がり、久遠は銃を取りに走った。
 拾い上げた瞬間、サイレンが鳴った。ビアスが転びながらも非常ベルを押したのだ。

「邪魔はさせない。私たちだって必死なのよ! あなたなんかにわかるものですか、綺麗さっぱり記憶を無くしたあなたに!」

 銃を構えたものの、だが久遠は引き金に指をかけるのを躊躇った。

「久遠君、あなた何故捜査官になったの? 普通にしてたら、クドー博士の娘として普通の幸せぐらいは得られたろうに」

 久遠は無言でビアスに駆け寄ると、首筋に手刀を叩き込んだ。がくりとくずおれたビアスを、重石代わりに扉の前に横たえる。

 何のためか? そんなのはわからない。何か理由はあったかもしれないが思い出せない。ビアスの言ったとおりだ、と心中で久遠は苦笑する。が、はっと顔をドアに向けた。外からカツカツと足音が聞こえてくる。ガードマンか? 速すぎる!

 久遠は台上の二人を振り返った。D・Dもグラウエンも、コードを頭部に絡ませて昏々と眠り続けている。彼らの見る夢は、果たして幸せだろうか? 頭の蛇はウロボロスのように彼ら自身を喰っているのではないか? 
 叩きつけるように電源スイッチを切る。が、予備電源がすぐに立ち上がり、パネルの点灯は一向に消えない。

「博士!? ビアス博士!?」

 ガンガンと扉が叩かれる。
 二人は連れていけない。一人だけとしても手がふさがれてしまう。けれど、せめてどちらかを呪縛のようなこの場所から連れ出したかった。どちらかだけでも。

「月日子さん」

 呼ばれ久遠は振り返った。
 叩かれている扉ではない。本棚の脇にひっそりとあった、小さな扉である。そこから顔を出したのは、

「月日子さん、助けに来ました!」

 李美銀がニッコリ笑った。

「どうして……?」
「スペクター次長のお墨付きです。それに、裏道をホクトさんから教わっています。このまま連盟の外へ抜けましょう。廊下もそろそろロックを開ける頃です。早く!」

 手招きする李に久遠は一瞬期待した。彼女となら、D・Dとグラウエンの二人を連れていけるのでは、と。
 だがそうはいかなかった。廊下側の扉が、しばらく鳴り止んでいたかと思うと、徐々にこじ開けられてきたのだ。手袋をはめた指先が扉からちらちら現れる。

 処置台の上の二人を見た李は、久遠の逡巡を理解した。だが迷っていては二人どころか一人も、いや自分さえも囚われてしまう。
 それは久遠自身も痛いほどよくわかっている。意を決すると、金の髪からコードを引き抜き、背負うように担いだ。一人だけを。

「行こう」

 黒い瞳の強さに、李は頷いて扉を開けた。


[16.3]
 目を開けると、白い天井が見えた。
 ここはどこだっけ?

「おはよう」
「おはようございます」

 反射的に返して、声のする方へゆっくり顔を向ける。白衣に包まれた大きな身体。ポーラだ。

「気分はいかが?」
「まぁまぁかしら。全部終わったの?」

 ポーラは肩をすくめると、あごの先で隣のベッドを差す。

 隣は空だった。

 私のバックアップをしてくれるという人はどこにもいない。顔は知らないが、適性者が見つかったといっていたのに。コードだけが死んだ蛇のように、何本もシーツにだらりと伸びていた。

「途中で逃げられちゃった。バックアップは半分ってとこよ。大丈夫? 今日、パレードに出られる?」
「勿論。年に一度のカーニバルですもの」

 私は笑う。ポーラに抱き起こして貰い、ベッドから立ち上がった。足の裏にひやりとした床を感じた瞬間、私は眠っている間に見た夢のことを思い出した。けれどもそれは正しく走馬燈のようで、くるりと一周しただけで私の中から消え去ってしまった。楽しかったのか悲しかったのか、それすらよくわからない。

 ただ、夢とは別のことで切ないような気持ちになっていた。空のベッドとだらしない蛇を見ると、それは一層強く胸を締め付ける。

「ねぇポーラ、今日のドレスはもう決まっていて? 火星の女神に相応しいものにして頂戴ね」

 蛇から目を背け、私は笑う。
 人々から女神、と呼ばれるのは少し恥ずかしいが嫌いじゃない。在ること。それが私の意義でもあるから。
 祭の楽の音が、地下のこの部屋まで聞こえてくる。

 カーニバルがもうすぐ始まる。




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どうしたんだ、速いぞ16話! ようやく説明の回が終わりました。
そしてようやく、ようやく、カーニバルが始まります!
この分なら20話以内で終わりそうだ。ばんがれ自分! 負けるな自分!
次は何を書こうかなぁ……って終わってから考えろ!(笑) (01/11/05)

華天。



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