ああなんて愛しい子 食べたらさぞ美味だろうに


[15]

[15.1]
 「珍しいわね、捜査官がこんな所に来るなんて」

 微笑みを浮かべながら、ビアスは立ち上がった。

「どうぞお入りなさいな。あなたが小さい頃、よくここへ遊びに来ていたわ。懐かしいでしょ?」

 久遠はゆっくり歩みを進めた。コツコツと床に靴音が響く。

「さてね。私はここを覚えているようだが、懐かしさは少しも感じない。むしろ新鮮な気分だ。昔、訂正された記憶のせいかな?」

 ビアスはくくっと肩を震わせて笑った。

「言うわね、久遠君。確かにあの時の『訂正』は、ちょっと酷すぎたわ。ダイアナを丸ごと忘れてしまうなんてね。まぁこちらとしても、あんなことをこれ幸いと利用してしまったのだけど」
「利用……?」

 久遠は眉をひそめた。ビアスは嗜虐的な物言いを好む。わざと相手を困らせて喜ぶのだ。今の言葉もそれと思ってわざと大げさなぐらいの表情をしたが、それにしても何のことか分からない。

「やっぱり覚えてないのね。基準値を大幅に超えて薬を接種すると、その量と忘却の深さは比例していく……N理論の通りだわ」

 小声で呟いたビアスは、ガラリと表情を変えて長身から久遠を見下ろした。空気がぴんと張る。機械音すら弾き出すように。ビアスは尋ねた、彼本来のテノールを響かせて。

「何を知りに来た、久遠月日子」

 翡翠のような眼が、黒い瞳を射る。だが久遠は、

「全てを」

 受け止め、真っ直ぐに見返した。

「グラウエンの行方、記憶の訂正、D・Dの容態、そして、あなたが何を考えているのかを」

 しばし二人は睨み合い、やがてビアスの唇が微笑みを作った。極めて冷たいものだったが。

「オーケイ。私の知っていることを教えてあげるわ」

 ビアスは机に腰かけた。口調も元のアルトに戻る。

「何から話そうかしら? そうねぇ、簡単なところから言うと……D・Dは取りあえず元気よ。今、隣の部屋にいるわ。バックアップの作業をしているところ」

 言うないなや、久遠は隣室のドアを勢いよく開けた。果たしてそこにD・Dは居り、久遠は大きく息を吸い込んだ。
 処置台に横たわっっているD・Dは、あたかも死んでいるかのようにじっと目を閉じている。頭部からは無数のコードを延ばし、それまるで黄金の河を渡る蛇の群のようだった。

 しかし久遠がそれ以上に目を奪われたのは、もう一つの処置台である。眠っているようなその姿は、正しくリチャード・グラウエンだった。


[15.2]
 ツキヒコは一命をとりとめた。けれど、全ての記憶を失ってしまった。自分のことやドクターのこと、あたしのことはもちろん……話し方や歩き方さえ。

 ツキヒコ、と枕元で呼びかけても、黒い目はただ天井を向いているだけ。目元が少し黒ずんできている。眠気、というものが理解できないのだとドクターが言っていた。無理にでも眠らせないといけないけれど、睡眠薬が体内に残っているネバーランドとどう反応するかを確認してからでないといけない、とも……。

 あたしはもう一度ツキヒコ、と呼んだ。
 けれどやっぱり黒い目はこちらを向いてくれなかった。

 病室を出ると、ポーラが迎えに来ていた。そうだ、ネバーランドの効果について話し合うんだったっけ。嫌だ。気が乗らない。こんな時に元凶の話をしなきゃならないなんて。

 チョコのことは、まだばれていない。誰も見ていないときに、アレスの部屋の菓子皿に置いておいたのだ、まさかあたしが仕組んだなんて、誰も思わないだろう。アレスは、たまたま通りかかったツキヒコにチョコを渡したらしい。どうして渡したんだろう、よりによってツキヒコに。

 ドクターやポーラに、チョコのことを話そうかとも思ったけれど、……怒られるのは怖かった。ツキヒコを永遠に失うかもしれないというのに、あたしはドクターから見捨てられる方を畏れている。泣きたいぐらいに。

 けれど、そんな思いとは裏腹に、頭は次々数式を計算し、実験値を予測し、理論の完成へ向けて動き始める。
 ブレイン・データベースの被験者であり実験者。その為に生まれた人間。そして科学者。あたしには幾つもの肩書きがあるけれど、一番欲しいのは一つだけ。

「どうしたの、ダイアナ?」

 首を振った拍子に、涙がこぼれ落ちた。
 欲しいのは、愛しい子、ドクターからそう呼ばれることだけだ。
 溢れる涙は止まらず、けれどもあたしは様々に数値を計算する。


[15.3]
 畏れていたとおり、D・Dのバックアップはグラウエンだったのだ。だが自らを訂正してまで行おうとしたことはこれだったというのか?

「グラウエン君のブレイン・データベースの適合率は6割程度よ。高い方だけど、D・Dのバックアップとしては全然使えない。それでも今ああしているのは何故だと思う?」

 ビアスは一瞬グラウエンを睨んだが、すぐに呆れたように苦く笑った。

「あなたのためよ」
「私の?」

 驚きに目を見張る。

「不測の事態に備えて、情報局では適合率の高い人物を前々からリストアップしていたわ。D・Dと同じ100%の子がいたけど、彼はもういない。次の、9割以上の適合性を持っていたのが、久遠君、あなただった、はずなんだけどね」

 何故かデータが違っていた。適合率第2位、リチャード・グラウエン、と。久遠の適合性を知っていたスタッフが、何度調べ直してもデータは彼の名を第2位に告げ、久遠のくの字も浮かび上がらない。時間がなかった。バックアップはグラウエンで行われることになったという。

 やったな、と久遠は思う。結果データどころか、検査用のプログラムにも手を加えたのだろう。彼にとっては造作もないに違いない。

「馬鹿なことを……」

 久遠の呟きに、ビアスは小首を傾げる。

「馬鹿かしらね」
「そうさ」

 二人の点滴の脇に置いてある薬瓶を、久遠はふと見つけた。ラベルはついていない。液体の色に見覚えがあった。幾度も摘発してきたのだ、間違えようもない。常態は粉末だが注射のために水に溶けば、原料となる植物の花のように淡い淡い紫色になる……。

「そうそう、知ってる? ネバーランドの本当の効用を」

 久遠の先手を打つように、ビアスが尋ねた。

「飛翔感を伴う高揚感、高い覚醒性。全てにおいて夢のような快感を持つために、能動的になる」

 ビアスの歪んだ唇の端を見、次いで再び彼の目を見据えて久遠は答えた。そして、それから、と喉の奥から唸るように告げる。

「ハッピー・バック」

 ご名答、とビアスは指を鳴らした。

 ネバーランドの売人でさえ、ごく一部しか知らないであろうハッピー・バック、その効用。それは大量のネバーランドを常に用いていなければ得られない。ゆえに九割以上の中毒者はハッピー・バックを知らずに過ごす。

 その方が幸いである。それを得るには通常の二十倍以上の量が必要だ。幾らネバーランドが安価とはいえ、ものには限度がある。そしてそれを服用する身体にも。
 そうまでして欲しいものとは。
 記憶の再現、である。

 ハッピー・バックはその名の通り、過去に得た様々な快楽や安楽、幸福の記憶を、ほぼ完璧に再現する。その分、彼らの『崩壊』は速度を上げ、最初の効果を得てから二ヶ月ほどで亡くなるのがほとんどらしい。

「でもね、ネバーランドの効果はこれだけじゃないわ」

 眉をひそめる久遠に、ビアスはこれは誰も知らない効果、とまた厚い唇を歪めて笑った。

「大量に摂取しなきゃらならいハッピーバックとは逆、使うのはほんのわずかでね。ごくごく少量ずつ常用していくと、頭の中が均されていくの。平均化されて扱い易くなるのよ」
「あつかう……?」

 口腔に張り付く舌を久遠はようやく動かした。

「そう、扱うの。あなたは不思議に思ったことはない、記憶の訂正を? 火星には何十億という人間がいるわ。その一人一人の記憶を、どうしてああもスムーズに訂正できると思う?」

 久遠の身体中から血の気が引く。驟雨のような音が聞こえた気がした。

「それに使うのよ、ネバーランドの副作用をね。水を飲まない人間なんていないでしょう? どの水タンクにも極微量のネバーランドが入っているわ。あなたも私も、火星全ての人間が対象者なの。効きにくい・効き易いの差はあるけれどね」

 くつくつと笑うビアスとは逆に、久遠は声を失った。
 連盟は、絶対である。絶対に正しく、公平で、強い。だからこそ人々は従うのだ。従う価値があるから。従わせるだけの説得力があるから。だのに、これでは。

「連盟が麻薬取締の自作自演をしていると思うかしら? どこからか種が漏れだしたのは確か。それが今の中毒者を生み出している。連盟が水に混ぜているのはごく少量。麻薬ではなくむしろ薬と言っていい量よ。覚醒剤の『フラジール』が、眠気覚ましに入っている様にね。いいえそれよりもっとずっと薄いわ。代わりに、純度が100%でなければならないけど」

 久遠の様子を楽しみながら、ビアスは更に続けていく。

「100%のネバーランドをどうやって作るか、もうあなたは知っているはずよ?」

 そうだ。自分は既にネバーランドの製造方法を知っている。今までの事件を合わせれば自ずと見えてくる、おぞましい方法を。

「中毒者の脳に種を植え付けるんだな?」

 正解、とビアスは頷いた。
 ネバーランド中毒者の死体に種を植える。それは死体を養分に育って花を咲かせた後、係員によって葉を摘み取られる。

「人から生まれて人に還る。素敵なリサイクルだと思わない?」
「ビアス……ッ!!」
「なんてね。幾らあたしでもそこまで確信犯じゃないわ。これはあくまでも二次的な産物。ネバーランドは本当はESPを抑えるために開発されていたのよ」

 ESP問題は、月・火星・木星の三都市で問題になっていた。人類が地球を離れて数百年、重力変化によるものか、進化の過程の一部なのか、特殊能力を持つ人々が現れ始めていた。未知の力。どうするのか。

 三都市はそれぞれの方針をうち立てたが、それはどれも別々のものだった。月は能力者の保護に向かい、木星は規律でがんじがらめにした。そして火星は、ESPを予防することにしたのだ。

「能力を予防するために造られた薬が、ネバーランド。けれども今は素敵な副作用の方がメインになっているわ。どこからか漏れていったのね。嫌ね、私たちが必死で開発したのに……」

 ネバーランドは、実験ではESP予防に効果を発揮していた。が、ある副作用が見られた。

 量の変化による体調の違い、である。多ければ高い覚醒と快楽を得、それを越すと廃人と化す。少ないと健忘症にかかり、少なすぎれば何の効果もない。ネバーランド班にとっては頭の痛い問題だったが、畑違いとも言えるブレイン・データベース班は、この健忘症の部分に目を付けた。

 久遠月哉と幼いダイアナ・デプス、アレス・アドマインを中心に動いていたBD班には、本分であるデータベースの他に、もう一つのプロジェクトが動いていたのだ。

「それがSBシステムよ」

 SB……synchronized-brain.
 『記憶の訂正』を行うものだった。





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ようやく15話です。難産です。説明ばっかりです。
推理ドラマで追い詰められた犯人がべらべら犯行を自供するような気がしてなりません。
つーかその通りだよ自分(涙)。
ラストの方からも書いていってるので、全体の上がりが多少速くなる……かも(爆)。
今年中に終わるのが目標です。目標ですったら!! (01/10/31)


華天。



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