ラビリントス・リントス 都市の路地 悪夢の中
むせ返る花の香 あなたの瞳のように
[13]
[13.1]
連盟のモニタから、光源が三つ消えた。その三つとは、ラング、李、そして久遠の所在位置を示すポインタである。捜査官必携のメモ帳、その電源を落としたに違いなかった。潜入捜査官はその性質上、メモ帳を携帯せずともおとがめ無しだが、三人は通常任務である。何ヶ月か停職となってもおかしくはない行為に、モニタを見ていた管理官はすぅと顔色を青くした。
スペクターは自室の応接セットのソファで相変わらず唸っていた。事務室との間のドアに人の気配がする度びくりとそちらを見やり、次長室への用ではないとわかると、詰めた息を吐く間もなくまた唸り出す。それを延々繰り返していた。
唸りたくもなる。連盟の前には、いつ嗅ぎ付けたのかテレビ局のリポーター達が集まってきている。久遠の自宅も恐らく同じ状態だろう。
幸いなのは、鉢の中に脳があったとは知られていない事だろう。これまで流れてしまっていては、情報システムの全面的な変更を考えなくてはならない。
「何処に雲隠れしたんだ、あの阿呆は」
禿頭をかきむしりながらスペクターはソファに転がった。
「おやすみでしたか?」
ドアが開いて、銀鈴の声がかけられる。姿を認め、慌ててスペクターは起き上がった。
「こ、これは電脳……また誰も付けずにいらして……」
「すみません、次長が怒られるんですのに、ごめんなさい。あの、月日子の事なんですけど……」
「申しわけありません、電脳にまでご心配をおかけしてしまって」
「いえ……月日子は、違いますよね?」
「それを確かめたくて、久遠を捜している途中です。久遠どころかラングも李もメモ帳を切ってしまったので、皆目見当が付かないのですが」
「何か罰せられるんですか、ネバーランドを持っていただけだとしても」
「違法ドラッグは、所持だけでも罪になります。捜査の上で売人らから取り上げたのだとしても、所在の報告義務を怠っていれば同じことです」
D・Dは顔を曇らせた。
「ですが月日子は……」
不意にD・Dの言葉が途切れた。青い視線がぐるぐると宙を彷徨い、そして倒れた。
まるで電源が落ちたように。
[13.1001]
来た。あいつだ。
愛しの女神に会いに来たね。
凄いな、あっという間にそこまで来るなんて。さすがラサの再来と言われるだけあるね。
でも待ち受けてるのは、女神の騎士だよ。
そう、そこ。そこが君の分かれ目。さあこっちにおいで。
まだ完全じゃないけどね、こっちの疑似女神もなかなかの美形だよ。
そのまま、そのまま。
僕の前までおいで。
[13.1002]
ふとした拍子に違和感が起こった。
細やかで手強いプログラム。数々のトラップ。一瞬たりとも気が抜けないのはいつもの通りだ。しかし、何か違う気がする。
ヤメロ、と囁く声がする。
だけどもうすぐだ。
すぐにあいつに着く。綺麗なキレイなゴミ溜の女王に。幾ら声が危険を叫んでも、あまりに魅力的であらがえない。
もうすぐ、もうすぐ。
期待は高まり、
ヤメロ、ヤメロ。
危険も高まる。
ならこうしよう。さっき曲がった角を、曲がらずに進んだ場合、どこへたどり着く? ここからそこへ動くとしよう。
このまま行けば楽勝なのに、俺もどうかしてるね。まぁ美味しいモノは後回し、ってことかな?
さあ計算のやり直し。ここからどう動けばいい? 大丈夫、俺の演算能力はまだ落ちてない。けれど大分面倒だな、やれやれ。
[13.2]
「電脳?! 誰か、情報局に連絡してくれ」
隣室へ叫ぶと、スペクターはD・Dを抱え起こす。気を失ってはいないようだが、瞳がまるで違っていた。色ではなく、宿す光が。焦点の定まらぬ藍色の眼はフィルタをかけたように暗い。
「hHhhHhHhH eeEeeeEeEeEE llllllLLllllLll ooOooooOooo!!!!」
突然D・Dの口からヒステリックな叫びが上がった。
「I'm Deeeeeee.Diiieeee,Queeeeeeen of the Red,red red red red wooooorld!
yo yo,U'd like 2 XXXX 2 me?」
絵の具のようなどろりとした瞳のまま、唇だけが別の生き物のように動き続ける。スペクターは脱力しきった彼女の躯を支えながら、呆然とその声を聞いていた。
と、彼に鋭い頭痛が起きた。ズキズキと痛むそれはD・Dの短く浅い呼吸と同じビートを刻んでいる。痛みは次第に疼くような快感へと変化してきた。脳を、美しい細い手で撫で回されるような陶酔。そして彼は叫んだ。
「I'm Alles!!」
D・Dと同時に、全く同じアクセントで。瞬間、おかしいと彼は気付いたが、脳髄の快感は消えず、唇は勝手に動き出す。D・Dとまるっきり同じように。驚きのあまりスペクターはD・Dを腕から取り落とす。どん、と大きな音を立て、D・Dは床に転がった。
「Aha! I'm Alles,YES,that's! My name is ALLES.U think about me I kiddin'?
」
完全に唇をシンクロさせながら、慌ててスペクターはD・Dに手を伸ばしたが、彼女はそれを拒否した。思いの外びしりと強い力で手をはじき返したのだ。
「No! I just jack D.D,CONGRACHURATION!!!! Nice 2 meet U,hey everybody say,
HELLOOOO!!!」
そこへバタバタと駆け込んできたのはポール・ビアスだった。両腕を振り回して嫌がるD・Dを抱え、眼を覗き込んで、
「ちくしょう、D・Dしっかりして」
「Repeat after me "HELLO!!!!!!!!!!!"」
女声と男声の二重唱に、ビアスは唇を噛む。
「SBシステムが裏目に出たか! まさかここまで乗っ取られるなんて……次長、あなたにも荒っぽい事になるけどごめんなさいね」
言うなりビアスは太い腕で暴れ回るD・Dを抱き締めると、彼女の襟元の通信機に向かって叫んだ。
「ポール・ビアスの名において命令する。電脳のスイッチを切りなさい。それからすぐにバックアップの準備を!」
[13.3]
ドームの縁にほど近い小さな建物に久遠は入った。住む人も少ないのだろう、外の美しいイルミネーションとは反対、祝祭間近の華やいだ雰囲気は中には殆どない。腐りかけているのか一歩ごとに沈みそうな階段を8階まで上り、ゴミ袋が花道のように並ぶ廊下の奥へと進んだ。
立ち止まった目の前。汚れた濃い緑色の扉は、ドアノブが半分取れかけている。久遠にはその壊れ方が銃によるもののように思えた。丸い穴の隙間に指をかけて扉を押し開く。室内は暗い。壁のスイッチを押しても何処の電気もつかなかった。
溜息をついて髪をかき上げる。部屋に生活している気配は全くない。部屋に一歩はいると、空気は湿っぽくほこりが肌に吸い付いてくるようだった。ラングは知り合いから預かっている部屋だと言っていたが、管理は全くしていないのだろう。
ラングからライターを借りてくれば良かったと考えながら、久遠は思い切って部屋の中に入る。メモ帳の照度を調節すれば手元を照らせる程の明るさにはなるが、久遠のそれは連盟のサーチを逃れるため電源を落としている。今ここで使うわけにはいかなかった。
踏み出すごとに床の軋み、砕ける音、割れる音。そしてぐにゃりとした感触が二度。薄明かりの漏れる窓、カーテンを細く注意深く開ける。人工月の蒼白い光が室内を淡く照らした。
思いの外部屋は広い。だが服やゴミがそれを埋め尽くしている。反対に何も貼られていない壁。ひっくり返ったディスプレイ、丸まったままの毛布。どの場所のほこりでも撫でればくっきりと指の跡が付くだろう。
「月日子さん」
小声で呼ばれ、入口を向くと李が立っていた。パンプスの爪先で足元の障害物を寄せながら部屋の中へ入ってくる。
「話には聞いてましたけど……ホクトさんのお友達も大したモノですねぇ……あはは……」
「そっちの用は済んだのか?」
「ええ。ホクトさんはまだなんですね? じゃあさっさと決めちゃおうかな」
「決める? 何を?」
しかし李はそれには答えず、買い物袋の中からミネラルウォーターのボトルを差し出した。どうも、と受け取って久遠は栓を開ける。しばし沈黙が訪れ、李の喉がこくこくと鳴った。
「はー美味しい。私、このブルーアクア大好きなんです」
李の喉がまた鳴る。
「月日子さん、あの時のテロ、覚えてますか? 私、まだ中学生でした」
不意に李が尋ね、その問いに久遠は頷いた。
数年前に起こった爆破テロで、火星都市の中央地区は深刻な被害を受けた。林立するビルの殆どは倒壊し、五層のドームには第二層まで亀裂が入った。
「私がいたところは、エアレールが上から落ちて…………地獄みたいでした。あの時、私たちのいた所に来た救助チームの中に、月日子さんとグラウエンさんがいたんですよ。覚えてます?」
「いや、そこまでは覚えていない」
李はくすりと笑う。
「ですよねぇ。たくさん人がいましたし。私、あの時かなりショックだったんです、状況の悲惨さにもそうだったんですけど、それよりも自分自身に。私の学校、火星でもトップレベルの学校だったんですけど、こんな時に何をするか、ちっとも分からなかった。迷う事なく動いていた月日子さん達を見て、すごくショックで。私も怪我してたけど、周りの人に比べたらかすり傷みたいなものだったから、何も知らないで、何も出来ないで腰抜かしてるのが情けなくて」
李は笑う。
「自分の成すべき事を全うできる人間になりたいって、すごく思いました。それで連盟に入庁したんだし、今でもそれは変わりません」
蓮の花のような、一目見たら誰もが彼女を好きにならずにはいられない清しい笑みだった。
「ここに来る途中、ずっと考えてました。今私に出来ることは何だろう、何をしたら事件が早く解決するんだろうって……」
だから、と李は続けた。バッグから小さな箱をだして、ラベルを久遠に見せた。
「だから私、訂正を受けます。私の成すべき事がそれであるなら」
それはは、睡眠剤、であった。
久遠は小さく眉をしかめた。睡眠剤への嫌悪ではない。不眠症の久遠自身よく使用する。
眠るということは、脳内の情報を整理することでもある。その整理中に干渉すれば、気付かれない内に訂正を進めることができるというのだろう。ラングがビアスから聞いたことから察するに、そういうことだろう。
久遠が眉をひそめた理由は薬の外箱である。水色の箱だった。ネバーランドのダミー包装と同じように。
「いいのか?」
「もう決めましたから」
言って李は薬を取りだし、ミネラルウォーターのボトルに唇を付けようとする。
「ラングを待たなくていいのか?」
「ええ。どうせ寝るなら今までの分をたっぷり取り返そうと思って」
茶目っ気たっぷりに片目をつむる李に、久遠の唇は苦笑の形を取る。
「でも、本当に寝るだけで記憶の訂正が行われるんでしょうか? そもそもどうやって訂正するんでしょう?」
「情報局は内部機密が多いからな。まぁそれは司法局も一緒だが。思いつくのは登録コードぐらいしかないな」
「火星の全員が必ず持っているものって、生まれたときに貰うそれしか無いですしねぇ」
「恐らく人口管理システムに何かをつなげば、訂正データが送られるんじゃないかと思う。問題はその何か、だね。プログラム、なんだろうけれど……」
「訂正するデータごとその都度プログラムも作りなおしてるんでしょうか?」
「いや、それはどうだろう。一々そうしていたらグラウエンの事はあまりにも早く対応できている。既に出来上がったものに訂正データを入れているんじゃないか? それに、早ければ一度眠っただけで訂正は完成するらしいだろう? 大勢の人数を一晩でさばくには、D・D並みの容量の他に……」
そこまで言って、久遠は言葉を止めた。その考えに、自身がぞっとしたのだ。李も同じ考えに思い当たったらしく、顔から血の気が引いている。
曰く。火星民の頭脳に、予め訂正のためのフォーマットが敷かれていれば、可能かもしれない、と。
「……飲みます」
「嫌なら止めてもいい。できれば私はそうして欲しい」
「もう、決めましたから。ちょっと怖いですけど」
李は、ボトルの水を一口含んだ。
[13.4]
ゾクゾクするね、と青年は言う。
「こんな奴、ラサ以外初めてですよ。腕が鳴るなぁ」
「ラサ本人じゃないでしょうね?」
「まさか。あいつは一昨年ネバーランド中毒で施設入りしましたよ。あそこはコンピュータどころか電話線も電気も無い。僕が一緒にいたって何にもできやしませんよ」
それに、とわずかに睫毛を伏せる。
「あいつはもうキーを打つことすらできない。脳パルスキーですら打てないよ。もうラサはいない」
ビアスは小さく肩をすくめた。
「世間話をしている暇はないの。早急にD・Dのバックアップと再起動の準備をしないといけないわ。協力してくれるでしょう?」
「勿論ですよ。でも僕に写したデータの分で間に合いますか?」
「それは心配ないわ。あと……申し訳ないんだけど、念のためもう少しあなたにデータを積んでおきたいの……」
「OK。システム全部を写しても構いませんよ」
「それはできないわ。BDBシステムも、SBシステムもね。八割程度の適合性じゃ……」
「冗談ですよ。荷が勝ちすぎるのは分かってます」
脳の適合性よりも容量の問題だけどね、とビアスは考える。勿論口には出さないが。ブレイン・データベース・システムのために造られ訓練された者とそうでない者ではやはり違う。その辺りがD・D以外の実用化ができない一因となっている。
D・Dと一緒に生まれた子がいたら、どうなっていただろう。あの男子がいればD・Dの負担は少しは減ったに違いない。彼女が選ばれたその晩、姿を消してしまったらしいが。
名前は……。
「行きましょう、ポーラ。時間がない。D・Dのが終わり次第、また罠を張り直したいですから」
ビアスは青年に頷いた。彼はもうこの部屋に戻ることはないが。彼が彼としていられる場所は、いよいよ今晩でなくなってしまうのだが。
「行きましょう」
あの男子は今どうしているだろう。
名はアレス。火星の子。
[13.5]
毛布代わりのコートを引き寄せた李は眼を閉じたが、すぐにがばりと起き上がった。久遠をぴしりと見て、
「絶対、寝顔はみないで下さいね!」
「……はぁ?」
「あの、私、口を開けて寝るみたいなんで……」
首まで真っ赤にする李を、久遠は呆然と見つめた。
「あの、あの、それからですねぇ……あのぅ、怒ったり、笑ったりしないで下さいね? 私がどんなに間抜けに見えても、呆れたり……しないで下さい……ね……?」
「当たり前」
うつむきかける李の頭を、久遠は優しく抱き寄せた。
「笑う奴は、私が撃つよ。久遠月日子の名にかけて」
「……はい」
薬が効いてきたのかうっすらと紅くなった目元をゴシゴシとこすり、
「じゃあ……おやすみなさい」
コートを頭から被って、スプリングの壊れたソファにゆっくり座り込む。少しして、コートの内から幽かにすすり泣きが漏れてきた。久遠は彼女の隣りに座ると、コートの背を静かに撫でた。すすり泣きは次第に小さくなり、いつしか穏やかな寝息に変わった。
「もういいぞ」
「……寝たか?」
「ああ、寝た」
久遠の言葉を待っていたように、ラングがドアから顔を出した。
「いやぁ、こういうのはどうも苦手でね」
「提案したのはお前のほうだろう」
「そうだけどよ……まさかホントにやっちまうとはなぁ」
ソファで丸まっているコートのかたまりを見つめながら、ドレッドの頭をぼりぼりとかく。床に散らばるモノを、先程李がそうしたように靴の先で寄せ、空いたスペースにどかっと腰を下ろした。煙草に火を付け、別の一本を久遠に勧める。受け取り、久遠は紫煙を深く胸に吸い込んだ。
「それはそうとやっかいな事になったぜ。『電脳』がぶっ倒れたらしい。今しきりにニュースでやってる」
ラングの言葉に久遠は大きく目を見開いた。李の背を撫でる手がぴたりと止まる。
「ストーカーが壁を破ったってことか」
「ああ、表向きは過労って事になってるけどな。攻撃を交わすために強制終了したって話がかなり広まってる、誰も過労だなんて信じちゃいないだろう。『電脳』は目下調整中。明日の宵祭は無理だが、カーニバルのパレードまでに間に合わせるとよ」
「D・Dは山車か」
「人気者は辛いンだよ」
吐き捨てるような久遠の口調をおどけながらラングは押さえる。煙を大きく吸い込んでそれと、と話を続け出す。
「今度は興味深い話だ。ドーム外区の作業員に、ちぃっと話を聞いてきたんだが」
「外に出たのか?」
「幾ら俺でもそこまではしねぇよ。工事の終わった所をとっつかまえたのさ」
新しいドームを造るための整地工事は常に行われている。外区と呼ばれるドームの外は未だ乾いた紅い星のままで、普通は工事作業員でないと出られない。
だが『ゴミ』は大量に捨てられている。工事で掘り起こした土塊はともかく、何処から運んだのか産業廃棄物に死体まで。
外に出るには産廃の汚染物質から身を守るためにも特殊加工したスーツが必要であり、生命の危険が増す分工事作業員の給料は高い。しかし彼らの給与は月締めだ。一ヶ月後には大金が入るとはいえ、半数以上がその日暮らすのにも困っているような状況である。手っ取り早く金を手に入れるには、裏ルートの運搬作業……死体捨てがいいこづかい稼ぎだったらしい。かなり報酬もいいようだ。
「『ゴミ』のことで変なのがあったぜ。最近死体を運ぶ奴らの他に、その死体を買い取る奴らがいるそうだ」
「どんな?」
「マフィア。死体愛好者。業種はわからんが何かの製造業者……」
「製造? 原材料が死体のものなんてあったか?」
「……さてね。それはともかく次が問題なんだよ、次が」
ラングは煙草のフィルタをかみつぶすように顔をしかめ、両手を広げ大げさに苦悩する。
「どうしてくれる、月日子くん!? 買い手の中に、何と我らが連盟職員も入っているそうだ! ああこの嘆かわしい事実を如何んせん!?」
久遠は黙ったままだった。思考していたのではなく、それが止まってしまったのだ。
「医局の実験用?」
ようやくひねり出した言葉に、
「外区の作業員はそう思ってるみたいだが、ンなわけねぇだろ? ドーム外に捨てられるようなのはろくでもねぇ死体ばかりだ。誰がそんなヤバイので実験するかよ。珍病奇病で死んだ奴だって、細胞からクローンを造って医療研究してるぐらいだぜ?」
「待て、ラング。そもそも何故連盟職員だとわかったんだ? 制服を着ていた訳じゃないだろう?」
「言ったろ、医局のモンだと思ってたらしいって。運び込んだ車の助手席に………………連盟のエンブレムの付いた白衣がいたンだと」
言って、二人は黙り込んだ。考えようにもどこから手を付けていいのかわからない。すぅすぅと安らかな李の寝息だけが聞こえる。
「ゆっくり考えようぜ。『電脳』が動かなけりゃ連盟も動けねぇ。俺らも眠れねぇ。時間はたっぷりある」
ラングは新しい煙草に火を付け、久遠にも進めた。『眠気スッキリ』と外箱にあるキャッチフレーズに、思わず口元をほころばせる。一本取って吸うと、冷たい煙に目と脳が冴える。
「そういえば部屋の人は?」
「いねぇよ、どこでも自由に使っていいぜ」
「旅行か?」
いいや、とラングは肩をすくめた。
「ここの奴、重度のネバーランド中毒でね。去年とっ捕まえて今は施設にいる。俺が捕まえた。凄腕のプログラマーだったのに何でネバーランドに手をだしたんだか……」
ラングは煙草を深く吸い込むと、溜息のように煙を吐き出した。
「踏み込んでな、逃げようとしたあいつを俺は撃った。ちっとばかし後悔してる」
組んだ指に力を込める。
「頭を狙ってぶち抜いちまえば良かったんだ。ためらったもんだから、変なトコに当てちまって……身動き一つ取れないまま『ヤク抜きの治療』をしてるぜ、今も」
久遠の指先から、灰が一片こぼれ落ちたが、彼女は気付いていないようだった。
そのままラングは黙ってしまい、久遠も口を開かなかった。再び李の軽やかな寝息が聞こえるだけである。
果たして、と久遠は思う。
もしこの一件にグラウエンが深く関わっていたとしたら、果たして自分は彼をどうするのだろう。何故黙っていたとなじるのか。理由を聞き出そうと説得するのか。問答無用で撃つことは恐らくないだろうが、万が一そうなった場合、自分は本当に彼を撃てるのか。
「ラング」
「ん?」
「李は、明日、本当にグラウエンを忘れてしまうんだろうか」
「多分な」
「忘れたことを知ったら……哀しむだろうか」
「……多分な」
「人はどれぐらいの記憶があれば生きていけると思う?」
問いにラングはしばらく考えていたが、突然、
「がぁーっ!!」
叫ぶと、煙草を灰皿にぐりぐりと押しつける。呆気に取られて久遠はラングを見つめた。
「質問ばっかりしてねぇで、自分でも考えろ。頭は若いうちに使え!」
「すまない……」
しかし久遠は幾ら考えても答えを見つけられないでいた。子どもの頃のD・Dの記憶を忘れてしまったように、もっと大切な何かをすっぽり忘れているような気がしていた。それでも自分は生きている。だが果たして、本当に生を生きているのかどうか。
今ある久遠月日子は、連盟トップクラスの捜査官で、数々の事件を解決し、火星市民からも信頼が厚い。しかしその自分は、D・Dや『何か』を忘れたお陰で出来たものだ。今を肯定することは、嫌悪している記憶の訂正というシステムをも肯定することになりはしないか? そしてシステムを否定すれば、現在の自身をも否定することに。
誰か、いや人でなくていい、目盛のついたものがあればよかったのに。ぱちりとそれを当てはめて測れば、自分が何なのかすぐに分かったろう。そしてラベルを書くのだ。久遠月日子、生きている者、もしくは生き物、と。
ラングも久遠も一言も喋らない。
二人のくゆらす煙だけが、紗幕のように仄白く闇を覆っていたが、それも次第に朝の光に溶かし込まれていく。
[13.6]
目を覚ました李は、おはようございます、と眠そうな声で挨拶をした。
「おはよう、気分は?」
「いつもと同じ様な感じです。あ、寝顔見てませんよね?!」
苦笑しながら久遠は首を振り、李はほっと肩を下ろした。そして初めて気付いたようにラングを見る。
「いらしてたんですか」
「そりゃねぇだろ、相棒……」
山になった灰皿を流しに捨ててきたラングが頭をかく。
「起き抜けで悪いが、早速確かめてみてくれねぇか」
「グラウエンさんの写真ですね、ちょっと待ってください」
目をこすりながら起き上がると、李は自分のメモ帳に電源を入れた。連盟のマークが画面に浮かび、次いで業務管理画面が現れる。李はぷちぷちと操作していたが、
「あれ?」
その手を止めた。
「変です、『電脳』にアクセスできません」
「まだなのか……」
呟いて久遠は李に昨晩の出来事をかいつまんで聞かせた。李の顔が曇る。
「心配ですね」
「どのみち連盟にいたって私に出来ることはないがな。訂正後のグラウエンの写真はキャッシュに入ってないか?」
「多分あると……あ、ありま……し……た……」
写真を見た李は、悲しげにかつ不思議そうに、こう問うた。
「どうしてこの写真が本物のグラウエンさんだって思えないんでしょう? 私の記憶、訂正されてないみたいです……?
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読んでいてくださっている皆さま、大変お待たせしました。ようやく13話をお届けします。
出るまでも長けりゃ話も長くて、なんだか申し訳なさダブルです(汗)。
とりあえずカーニバル前日までこぎつけたので、なんとかなりそうです。
「夢オチにしちゃおうかな♪」「オイそりゃねーだろ」とか一人ボケツッコミをしながら(←淋しいな(笑))
どうにかこうにか書けました。多分、以後はこんな調子(文字量)で進んでいくと思われます。
もう少々、おつきあいくださいませ。
あ、わたくし、量の概念が人とは若干違うようですのでご注意を(笑)。
華天 拝 ひきつづきプレゼント係(爆笑)