未来の果て 過去の夢
遠いとおい あなたの 横顔

[12]

[12.001]

 背の高い白衣の男は、小さな子どもを抱き上げた。

「怖かったかい? 大人ばかりだものね。検査も痛かったろう?」

 子どもはううん、と首を振った。

「痛かったけど、ちょっとだけだったよ。平気だったよ」
「えらいなぁ、ちゃんと我慢できたんだね! 先生は大人だけど、注射はどうしても我慢できなくて、いつも看護婦さんに怒られるんだ。えらいなぁ!」

 大きな手が優しく頭を撫でる。子どもはこの手が大好きだった。温かくて大きな胸に抱っこされているのが好きだった。
 研究所の先生たちは、自分をたくさん誉めてくれるから大好きだった。勉強の先生は厳しくてあまり好きじゃないけれど、問題ができた時はものすごく誉めてくれる。その時は厳しくないから、大好きだった。

「今日はお友だちを紹介してあげるよ」

 手を引かれて連れて行かれた先には、同じように白衣の先生と手をつないだ子どもがいた。綺麗な長い金髪の女の子だ。

「こんにちは、あたしダイアナよ」

 初めて同年代と出会って、子どもはひどく照れた。白衣の裾を握ったまま、何も言えずに先生の陰に隠れる。それを見た女の子は、笑いながらこちらに来る。子どもは更に隠れる。次第に二人の先生の周りで、くるくると追いかけっこが始まった。
 くるくる、くるくる。

 この場所に笑い声が響いたのは、しかし後にも先にもこの時だけだった。



[12.1]

 李はつかつか久遠とラングに歩み寄ると、

「座ってくださいッ!」

 噴水の縁を指さした。二人は渋々とそれに従う。李は小柄だ。ラングがそこに腰掛けて丁度目線が合う。月日子は李に見下ろされる位置になった。

「どういうことなんですか、私に訂正を受けさせるって? 納得のいく説明をしてください」

 だが睨まれようと久遠にもその理由はわからない。いや、薄々その必要性は感じていたが、まさか李にそうして貰おうとは考えてもみなかった事だ。怒りよりも、戸惑いと寂しさの勝った李の大きな瞳に、久遠の胸は痛んだ。

 新人とベテランが組むのは捜査官の常とはいえ、ラングと組む事になったのは李にとって良かったかどうか。
 確かにラングは火星でトップクラスの捜査官だ。しかも、かなり型破りな。李がどれ程捜査官として天賦の才を持っていたとしても、実戦において遙かにそれを凌ぐラングには敵わない。

 一つでも多く経験を積み、才能の裏打ちをするために李はラングと組むべし、と上層部は判断したろうし、李自身もそれはよくわかっていることだろう。だがその胸中は安らかならぬものがあったのかもしれない。

「記憶の訂正がなされているという事は、多少なりとも連盟がこの件に絡んでるっていうことだ。そこまではわかってるよな」

 ぼりぼりと頭を掻きながらラングは尋ねた。頷く李。

「連盟は記憶の訂正率を調べているはずだ。捜査官が三人も未訂正じゃ、どんな事になるか……」
「足手まとい、って事ですか?」

 李のラングを見る眼差しが鋭い。流行の色を差した唇が細かく震えている。怒りではない、不安によって。

「李、違う、そうじゃない」

 触れようとした久遠の手を李は振り払った。

「何が違うんですか? そりゃあこんな新人より月日子さんと組んだ方が何百倍もはかどると思いますけど、でもこんな風に言わなくたって……」
「だから聞けってば、コラ」

 早口でまくし立てる李の頭を、ラングはぽかりと叩いた。

「いいか? 訂正を受けなければ、こっちの動きが制限されるかもしれん。特権条項も痛ェが、連盟のネットワークにアクセス制限をかけられたらお手上げだ。わかるな?」

 ややあって、李は渋々頷いた。

「全権を行使できなきゃ、それぞれの担当捜査はもちろん、グラウの事の真相も掴めねぇ。これもわかるな? いわば俺と月日子、二人分の連盟での動きを担って欲しいんだよ」

 再び李は頷いた。

「わかりました」
「じゃあ……」
「でも嫌です」

 李は言い放った。

「私の行動が、お二人に匹敵するのだと言われても、それだけはできません。私は『久遠とグラウエン』に憧れて捜査官になったんです。別人に思い違えていくなんてできません」

 きっぱりとした李の言葉。ラングは大きく肩を落とした。久遠もほっと息を吐く。
 記憶の訂正を受けねば、なにがしか制限されるとは限らない。そもそもこんな事は初めてだ。可能性の否定はできず、窓口としての存在は必要、優秀であればある程良かったのだが、それを李に強いるのは久遠にとっても心苦しかった。

「それに、もう手遅れかも」

 肩をすくめる李に、久遠は首を傾げ、ラングはどういうこった? と腰を浮かす。

「さっき煙草を買いに行っている間、連盟から司令が入ったんです」

 李はバッグの中からメモ帳をとりだした。自分でペイントしたという花模様のフラップをぱかんと開ける。ほら、と二人に見せたメモ帳の画面には、こうあった。

『以下の者を逮捕し連行せよ。
 容疑者:久遠月日子
 容 疑:ネバーランド原種花保持の疑い』



[12.2]

 変かしら、とD・Dは告げた。

「私は何かを忘れていませんか? どうにもアクセスできない情報がある気がするんです」
「何を馬鹿げたことを。アタシが診てるんです、ンなことあるわけないでしょ?」

 ポール・ビアスは笑ってD・Dの肩を叩いた。180pを越す彼のごつごつした大きな手は、信じられないほど繊細に働く。メンテナンス室室長の名に相応しいその仕事ぶりは、D・D自身がよく知っていた。
 頷いて、ティーカップを持ち上げたが、口は付けられずに取っ手の細工を指先で撫でた。

「そうなのだけど、何だか腑に落ちない気がするのよ……月日子と喧嘩したからかしら」
「あらぁ、久遠くんと? あんなに仲が良かったのにねぇ」

 ビアスは心配そうに溜め息をつく。小首を傾げたその仕種は誰よりも女らしいが、本人は至って健康な壮年男子である。曰く「間違った身体に生まれてきたから手術をしたかったんだけど、麻酔の合わない体質で何にもできなかったの」。

「謝った方がいいかしら。ねぇポーラ、何て言って謝ったらいいと思う?」
「そんなの自分で考えなさいよ。幾らあなたの主治医とはいえ、アタシゃそこまでケアできないわ」

 言ってくるりと背を向ける。巨体を支える椅子は、キィと小さな悲鳴を上げた。逞しい白衣の背中を見ながら、D・Dは肩を落とす。
 が、ふと顔を上げた。ブレイン・データベースにある情報が流れてきたのだ。同時に画面を見ていたビアスもあら、と呟き振り返ってD・Dに問いかける。

「やだコレ嘘でしょう? 久遠くんがネバーランド所持だなんて」
「……いいえ……」
「ちょっとマジ? 他に情報来てるんでしょ、教えてよ!」

 ビアスに肩を揺すられたが、D・Dは答えるべき言葉を失っていた。



[12.3]

 情報局次長ウォルト・スペクターは、目の前の鉢花に頭を抱えていた。
 薄紫の艶やかな花を咲かせている鉢は、部下の久遠が入院していた病室にあったものだ。普通の鉢花なら、縁起の悪さに目をつむれば全く構わない。それどころか本物の土に植えられたものは、最高級品として喜ばれるほどだ。

 が、鉢はともかく、咲いている花が問題だった。花というよりも、その葉。
 繊細な花弁に似合わず緑が濃く肉厚な葉は、乾燥処理をすると怖ろしく刺激的なモノに変わる。

 鉢を抱えて室内を歩き回りながら、久遠、久遠と念仏のようにスペクターは呟き続ける。そんな上司と眼を合わさないように、職員は必死で仕事をし続けた。

 しかし運の悪いことは起きるもの。

 プリンターから吐き出された用紙を取ろうと立ち上がった男性職員、その椅子が通りかかったスペクターにぶつかったのだ。慌ててみても既に遅し、抱えていた鉢は床でがしゃりと破裂した。
 フロアに響きわたるスペクターの叫び声。

「なんじゃあこりゃあああああ!!!」

 土の中から出てきたのは、花の根がぎっしりと食い込んだ、脳、だった。



[12.4]

 これは予想外、と舌打ち一つ。
 あいつがそこまで来ていたなんて。
 何のためにこうしたかわからないじゃないか。
 そもそも狙いは電脳じゃないのか? 月日子に何故矛先が向いた? まだ復元してない記録に、その謎があるのか。
 復元作業そのものは、全く手間じゃない。ちょっとばかり量が多く、ちょっとばかり古いコンピュータを使っているから、なかなかはかどらないだけだ。
 ああでもお願いだ、月日子。
 これでも君の負担を減らしたい一心でいるんだ。勝手だってわかっている。
 お願いだから、眠ってくれ。



[12.5]

 外部通信です、とのオペレーターの声に、ポール・ビアスはディスプレイに向かう。

「はいこちらポーラ……なぁんだ、アンタなの。何の用?」

 ご挨拶だな、と画面の向こうで眉をしかめたのはホクト・ラング。射撃用の片眼鏡は外している。

『ちょいと教えて欲しい事があるんだが』
「久遠くんの事だったらお断りよ? また通信あったでしょ、例のアレが例の鉢から出てきたって。もぅ、おかげで連盟全体がピリピリしちゃって大変なんだから」
『ああ、月日子の事じゃねぇ。記憶の訂正についてなんだが……』
「トップシークレットよ、どうするつもり?」
『ちょっと、な。詳しくは要らない。訂正の方法を知りたいんだ、概要を教えちゃくれねぇか』
「いいわよ。でもほんの触りだけよ? アタシだって詳しくは知らないもの」
『ありがてぇ、恩に着るぜ』

 ビアスは小さく溜息をつく。この男の恩の報い方は、朝まで一緒に飲み明かす、ただそれだけだ。しかもドームの端近くの怪しげな安酒場で。酒は確かに旨いが、少し報い方が違うのではないかと思う、女として。

「訂正は、眠っている間に行われるわ。とあるシステムを使って、記憶を微妙に修正するの。個人の場合は一日か二日、集団だと五日から一週間近くかけて行うわ。もちろん訂正されているという明かな自覚は無いはずだけど」
『そのシステムってやつはどんなだ?』
「知らない」
『つれねぇな、オイ』

 ビアスは肩をすくめた。

「だって本当に知らないんだもの。知っていても最高機密をみだりに教えたりはできないわ」
『まぁこれでいいや。済まんな、忙しいとこ』
「気にしないで。それより久遠くん、どう?」
『月日子もサッパリわかんねぇらしい。下手すりゃ局に繋がれっ放しになるから、何とか対策を立てたいんだがな』
「D・Dに連絡するように言って。あの子随分落ち込んでるわ。お願い」
『わかった、伝えるよ。じゃあな』

 片目をつむってホクトは通信を切った。ノイズの走る画面に向かって、ビアスは再び溜息をついた。

 各々の思いがすれ違うのは仕方ない。心は記録ではなく、ゼロと1には置き換えられない。色もなければ匂いもない。画面に映る訳もない。
 だからといって。
 こんなにもすれ違って良いものだろうか。
 ねぇ、とビアスは何も無いディスプレイに向かって呟いた。

「幾ら何でももう無理よ? これ以上はあの子にひずみが出ちゃう……いつまで続けるつもりなの?」

 ディスプレイにはノイズばかり。



[12.6]

 乾燥し変色した葉を薄紙で巻く。さりさりと紙の中で崩れる葉をこぼさないようにテープで止め、そっと唇にくわえた。静かに火を点けて、吸い込む。
 ネバーランドを吸っているときだけ、昔の記憶が蘇る。他の奴らもそうなのかどうかはわからない。だがこれに気付いた男は、この麻薬を止められなくなった。

 記憶は甘美だ。誰もが自分を必要としていた時代のものだからだ。そこでは自分は王でいられた。
 だが再び王でありたいとは思わない。あそこはクズの場所。クズの王は所詮クズだ。

 煙をくゆらせながら、窓の外を眺める。
 遠くに連盟のビルが塔の様にそびえているのが見える。
 約束した。けれど俺は追われた。
 お前は覚えているか、俺を、約束を。

 忘れているなら思い出させてやろう。俺の存在、俺との約束を、ゴミ溜の女王に。




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今頃思うのですが、長すぎてネット向きの話じゃないんじゃぁ?
1月から初めてかれこれ4ヶ月……まだ終わんないのか自分(トホホ)。
そんな華天ちゃんに励ましのお便りやプレゼントを待ってま〜す(←目当てはコレか!)。

華天 拝    プレゼント係(笑)



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