こんな緑の森の中


 フィーが拾ってきた小さな黒い固まりを、飲み込んだは、兄。

 一緒に暮らし初めて2年が経つが、兄の行動が理解できない。

 そもそも、サクヤとの関係も理解できないのだから、仕方ない。

 

 フィーの母とサクヤの母は一卵性双生児で、精子提供者が同一人物であるから、

従兄なのか、兄なのか。それとも、全く違う「自分」であるのか。

 

 ともあれ、サクヤは2年前の冬の日「やあ」、そんな言葉で転がりこんできたのだ。

 クリームの浮いているココアを飲みながら、

サクヤは「ロレインと一緒だと憂鬱になる」と苦笑した。

 母親の名を吐き捨てるように呼び捨てて、それきり黙り込んだ彼に、

フィーはどうすることもできなかった。

 

 それが、12歳のときのこと。

 早くに成熟した兄は、酒はやらないが煙草を手放すことがない。

 部屋に臭いが籠もる、と文句を言っても聞く耳を持たないサクヤにフィーは諦めた。

 

「ネネから連絡は?」

 買い物を終え、郵便受けが空なのに気づき、窓から空を見上げているサクヤに訪ねると

「テーブル」と応え。

 いつの間にか、サクヤと同じように母親を呼び捨ていることに驚くが

どうでもいいことのように思えた。

 生んでくれただけの母親は、3年前に恋人と一緒に旅立ったのだから。

「結婚するの」

「でも、フィーは来ちゃダメ」

「だって、邪魔だもの」

「お金はちゃんと送るから、ひとりで暮らしてね」

 快楽主義で、モラルのかけらもない女らしい言葉。

 父親の違う弟が生まれた、と告げる手紙を読んで、そのままくずかごへと放り込む。

 手紙の最後には「愛してるわ」と結んでいる。

 ボクもだよ−−−そんなやり取りを続けて三年だ。

 いい加減、疲れてもいた。

 

 紙袋をごそごそ鳴らせながら、冷蔵庫を整理していると「なあ」と

サクヤが呼んだ。

「なあ、土って、どこにある?」

「は?」

 世界を巻き込んだ争いが終結して、数十年。

 大地は汚された。

 放射能を帯びた大地をコンクリートで覆い、更に特殊コーティングを施して、

ようやく、ひとは歩けるというのに、なにを言い出すのか。

 

「バカなこと言ってんじゃないよ、はい、コレ」

 煙草を手渡して、兄の手に包帯が巻かれているのに気づいた。

 いつの間に怪我をしたのだろうか?

「医療センターに行った?」

「ん−−その内な」

 気のない返事をしながら、サクヤはひたすら空を仰ぎ見る。

 この日から、兄の行動が奇妙になった。

 

 

「なあ、植物って知ってるか?」

 カリキュラムを終えて帰ってくると、サクヤはまだベッドに転がっていた。

「たまには、学校に行きなよ」

 サクヤの問いを無視して、鞄から教科書を取り出しながら、フィーは溜め息をついた。

 一日のほとんどをベッドで過ごし、たまに起きているかと思えば

窓の前に座り込んで、じっとしている。

 食事もあまりとらなくなったというのに、どうしてか衰えているとは思えない。

 ただ−−包帯で覆っている範囲が広くなった。

 

「医療センターには行った?」

 何度目だろう、そんなことを考えてフィーは痛々しい包帯にさわる。

 嫌がる様子も、痛がる様子もないから、ひょっとして巫山戯ているだけかも知れない。

「ねえ、この下、どうなってるのさ?」

「見せるもんじゃないよ。気持ち悪くなるだけだ」

 窓ガラスに頭を預けながら、サクヤは大きくあくびをした。

 まだ眠りが足りないのだろうか?

 一体、何時間眠っているというのだろう……不安は大きくなるばかり。

 

「なあ、お前、植物って見たことあるか?」

 急にエコロジーに目覚めたのだろうか、最近のサクヤは二言目にはこれを繰り返す。

「サクヤ、この下、見てみたいか?」

 先ほどとは矛盾するようなセリフ。だが、好奇心には勝てず、フィーは頷いた。

 しゅるしゅると包帯を解いて、どうだ、と腕を見せつける。

 水ぶくれ。

 腕全体が、小さな水泡で埋め尽くされている光景は、吐きそうになるほどグロテスク。

 形の良い指や、すんなりと伸びていた腕が、倍以上に膨らんでいるのだ。

「悪い病気?」

「なあ……土はどこにあると思う?」

「そんなこと言ってないで、医療センターへ行こう!」

 叫ぶフィーにサクヤは首を横にした。

「俺に必要なのは、医者じゃなくて、土なんだよ」

「なんで!!」

「俺が養分だからさ」

 

 冗談だと思っていた言葉が真実だと思い知らされたのは、

水疱の一つから芽が出てきたのを見た時だった。

 硬直しているフィーを後目に、サクヤはそれを愛しそうに眺めて日光を浴びる。

 それが光合成だと気づいたのは、右腕全体に葉が茂ったころだった。

「病院へ行こう?」

「なんで?」

「取って貰うに決まってるだろう!!」

「お前……残酷なこと言うなよ」

 重みで上げられなくなった腕を庇うようにしているサクヤは、

とぼけた様子でフィーの怒りを煽る。

 どうしてそんなに平気なんだ!

「……もしかして、気持ち悪いか?」

 悲しそうに問いかけるサクヤに、フィーは言葉を詰まらせる。

 気持ち悪いとか、そんなんじゃなくて。

「そんなの、おかしいよ」

 養分。養うための、犠牲。

 このままじゃ、死んでしまうのは、必至じゃないか。

「兄さん、頼むから……」

 涙が溢れる。

 独りには慣れている。だが、ひとを失うのには慣れていない。

 ましてや、それが肉親であるのならば、なおさらだ。

 しゃくりあげるフィーにサクヤは微笑む。

「なあ」

 背中を撫でてくれる手が温かい。それが、いっそう悲しくなる。

「お前に、緑を見せてやるからさ」

「−−うん」

 優しい腕。

 でも、サクヤ。それは、死を意味してないか?

 涙が止まらなかった。

 

 背中から枝が伸び、サクヤはうつ伏せになっていなくてはならなくなった。

 ひときわ大きい枝は、サクヤを苦しめているのに、

当の本人は窓辺に枕を持ってきては、眠っている。

 ピアノを自動演奏に切り替え、フィーはミルクを温めた。

 固形食料を口にしないサクヤのために、できるだけのことをしてあげよう。

 ブランデーと砂糖を入れたホットミルクを、少しずつ口に含んでは、

のし掛かる重量に耐えるサクヤは、紙とペンを求めた。

「多分この街のどこかにいるからさ、捜してきて」

 そこに描かれたのは、少女。

 黒い髪に、緑色の瞳。

 眠たげに瞼をこすりながら、サクヤは微笑んだ。

 眠っているか、笑っているか。

 最近のサクヤはどちらかだ。だから、フィーも笑う。

 複雑な関係を持つこの兄と過ごせる時間は、きっと、多くはないから。

 

 人口が減ったからといっても、街には数千の人間が暮らしている。

 その中からたったひとりの少女を捜すのには時間がかかった。

 ますます眠りをむさぼるサクヤに、不安を感じながら、

フィーは探し人が見つからなければいいと願う。

 どうせ、彼は死ぬのだから……ボクが看取ってもいいんじゃないか?

 その少女を見つけたのは、四日後の朝だった。

 見つけた。

 見つけてしまった。

 その時、どちらを思ったのかフィーは分からない。

 ただ、「ああ、この子だ」と理解した。

 サクヤが待ち続けた少女。

 サクヤが望んでいた少女。

 もう自分はサクヤにとって不要な存在になったのだ、そう感じて悔しくて、

泣き出しそうになった。

「一緒に来て……君を必要としているひとがいるんだ」

 だが、少女は首を振って「ここから動けない」と応えた。

 だから、そのひとを連れてきて、と。

 

 歩くことさえ難しいサクヤを支え、人目につかないよう路地を選んで

フィーは歩いた。

 出来ることならば、逃げたい。

 少女を見つける間に瞳も潰れ、緑の葉を揺らしているサクヤを救えるのは、

きっとあの少女だけなのだろう。

 まだ人通りもまばらな時間で、少女はそこに佇んでいた。

「あなたね?」

「ああ、そうだ」

 背中が軋む辛さからサクヤはその場に座り込む。

「やっと会えた……この下か?」

「ええ、そうよ」

 短いやりとり。フィー独りがのけものだった。

 やがて−−サクヤは力を振り絞って立ち上がると、フィーを抱きしめた。

「見てろよ? お前のために世界を変えるからな」

 その言葉と同時に、アスファルトが砕けた。

 とっさに脳裏をよぎったのは「放射能!」という警告。

 コンクリートが裂け、びしびしと破片が宙を舞う。

「フィー!」

 サクヤが叫んでいる。

「ここから世界は生まれる。お前はここに住めよ?

 俺が守ってやるかならな」

 

 その瞬間−−サクヤの身体が、弾けた。

 

 そこにいるのは、フィーと少女だけ。

「君は、だれだったの?」

 呆然とサクヤがいたはずの空間を見つめ、フィーはなにも考えたくなかった。

「わたしはわたし。あなたが立っている大地。

 ねえ、こんなものでわたしを覆わなくても大丈夫よ。

 サクヤが応えてくれたから、わたしはもう毒を含まないわ……種を拾ってくれて

どうもありがとう」

 

 むき出しの大地に若木が、風に揺れた。

 ああ……これはサクヤの匂いだ……。

 それに包まれ、フィーはようやく微笑んだ。

 

 


(恵潤さんのおことば。)
 ……………う〜ん、こじつけていますね(苦笑)。
 もうちょっと長ければ、もう少しまともなものだったでしょう。
 おれって、短編、書けれるじゃ〜ん。

(華天の感想)
 しまった! 同じようなネタ持ってたのに、先に書かれちゃった(泣)。
 長野まゆみばりの幻想SFですねぇ。近未来の幻視をファンタジックに
描いてくれたのですが、犠牲がたった一人でいいのかな……と、ちと切ないです。

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