欠落している公金意識、あるべき公文書の取り扱い等などから三種町(三浦正隆町長)は、他の自治体とは
  比類なきやり方で行政運営がなされている。

 

 目の前を通り居留守を使う高堂弘道副町長

 三浦正隆三種町長は町民の多様な意見には耳を貸さない度量の小さな政治やだと巷の噂で度々耳に聞くことがある。そういう責任を果たせないといわれる三浦正隆三種町長に愚行を許さない直談判するため、
平成28年3月28日(月)、申入れ書を持参して訳ありのアポイントメントを取らず訪庁した。


注:3月28日付申入れ書原文中、3行目及び8行目の「第26回」を「第29回」に訂正した。


案の定というか生憎というか、この日、三浦正隆三種町長、高堂弘道副町長は
三種川中上流改修工事床上浸水対策祈願祭と起工式典に出席していて留守だった。
1時50分、総務(担当女子)は、「町長はそのまま別会場へ移り夜会合と続くので帰庁時間はわからない。
高堂副町長は午後2時に戻ることになっている」とのこと。原田は高堂副町長を待つことにした。

 総務(担当女子)に訪庁を受付する前1時45分、金子議長は出席していた三種川中上流改修工事床上浸水対策祈願祭と起工式典から帰ってきたとのご挨拶があった。
原田は、訪庁の目的と用件を話し、申し入れ書のコピーを手渡したものの
数秒読んでたたんでポケットへ入れて2階へ上って行った。庁舎二階には議会事務局と監査事務局がある。

 2時15分ごろ、ロビーに高堂弘道副町長が現れるもそのまま二階へ上って行った。おそらく高堂副町長は、
金子芳継三種町議会議長に呼ばれたのだろう。

 間もなくして総務(担当女子)は、「高堂副町長から『引き続き県職員と会議があるので何時に戻れるかわからない』という連絡があった」と、玄関ロビーで待っている原田に伝えに来た。

 原田は、「一分ぐらい前、高堂が二階へ上ったのを見ている。
いつ終わるか分からない会議に付き合うほど暇な県職員はいない。原田から『逃げるな』と言えばわかる」と、
高堂副町長に伝言をお願いした。

 2時30分ごろ二階から高堂副町長が降りてきた。
目の前をとおり居留守を使うのは副町長の職務としてとして如何なものかと怒りの苦言を呈した。
高堂副町長は「議長と話していた」と弁解しながら、ここでは何だからと、自席(副町長席)を避け町長室へ原田を入れた。

 高堂弘道三種町副町長の対応は次のとおりである。
「今朝、カーテンレール(ピクチャーレール)のことを嶋田均教育次長から聞いた。
田村課長の連絡がなかったのがまずかったのかな?という内容だった。返還金を町会計に入金しなかったのが悪い。26年分給与の支払いが遅れ27年分として支払っている。それも26年度国文祭の決算直前に払っている。
返還金を町へ入金しないで現金で持っていること自体がだめだ。
現金でカーテンレール(ピクチャーレール)は使い込みになる。
こんなことどこでも一杯抱え込んでいる。能代もそういう時期があった」と、言った。

 原田は「自分の尻穴も拭かないで能代を批判するのかい?」と、少しばかり皮肉で言葉を返してしまった。

 高堂副町長は、「原田が要求したから報酬を払ったと聞いている。 要求に応じて支払った報酬を返金するのは如何なものか。ピクチャーレールは原田の要望にこたえて設置したと聞いている。」と、言った。

 原田は「26年10月に国文祭事業が終わり、27年3月に26年分の所得申告時期になっても
企画委員会に出席した各委員に報酬が支払われていなかった。
柿崎留里子担当職員には昨年も報酬の遅支払いがあったので、速やかな支払いとそれに伴う源泉徴収票は申告に
必要な委員もいるのではないかと電話で話した」と、答えた。
さらに「原田個人の報酬は要求していない。報酬等の受け取りを拒む理由があって25年分の報酬も全額返還している。その時対応した職員の勧めで、国文祭開催前にふるさと文化館にピクチャーレールを設置する使途指定した
ふるさと納税になった。
ところが談話室に展示用ピクチャーレールを設置するのは、壁に重量負荷がかかり過ぎるということで
設置は出来なかった。それ以降、要望はしていないし国文祭関係職員とも会ったことすらない。
それが今回の返還金119,912円で同じ場所に設置ができるのはどうしてか。
ブラインドの設置場所は、「町を反円に見る展望台になっており、それを遮る物はふるさと館建設当時の設計にはない。今後も取り付けることはないと、田村課長から平成13年(緞帳完成時)に説明があった。
なぜ、今、返還金119,912円で展望台の窓を遮る使うことのないブラインド設置の必要があったのか」と、
問い詰める勢いで訊いた。

 高堂副町長は「ふるさと納税はピクチャーレールの設置など使途指定できない」と言った。
原田は教育施設にと丸で囲んだ使途指定している文書を見せようとした。

 高堂副町長は
「いい(要らない)。初めて聞いたこともたくさんある。回答は文書でいいかな? 謝罪したい。文書でいいかな?」
と言った。

 公金の扱い方と職員の対応のまずさを認めるもへらへらとしていて何とも問題意識があるとの感覚は
原田に伝わらなかった。
耐えられない軽い発言だという印象を受けた。が、これが三種町を仕切る高堂副町長のすべてだとも思ったのである。

 原田は、「回答も謝罪も三種の常識の中で」と答えるのが精いっぱいだった。
本当にその意のない回答も謝罪も期待することはないと判断したから。

 大事なのは納得する説明責任。高堂副町長は申し入れ書をテーブル脇に置いたままだ。

 高堂弘道副町長の軽いフットワークが意味するもの

「返還金を町会計に入金しなかったのが悪い。26年分給与の支払いが遅れ27年分として支払っている。
それも26年度国文祭の決算直前に払っている。返還金を町へ入金しないで現金で持っていること自体がだめだ。
現金でカーテンレール(ピクチャーレール)は使い込みになる。」とは言っているものの、それでいて、公金の扱い方、
職員の対応のまずさを認めながらもへらへらしている態度には危機意識、問題意識が欠落していた。

 高堂弘道副町長は、原田が国文祭の「何」に関わったのかもあまり知っていないようだった。
原田がこれまでの経緯・説明を求めても、「 謝罪したい。文書でいいかな?」と、
言うあたりに「早期幕引きを図る」気配だけは、十分に感じた。

 国文祭準備から展示が終わる10月10日までの期間中は、思い出すほど忘れることのない様々な出来事があった。が、原田には既に終わった事実になっていて、みたね町はきたね町に名を変えて原田は疎遠にしている。

 怒りを再燃させたのは、
①給与返還金119,912円は町の歳入措置をしないで、ピクチャーレールを設置したのは原田の要望であり、
②原田が要求したから報酬を払った。応じて支払った報酬を返金する方がおかしい。」との言い訳。又、
③給与の返還金を認めながら、平成27年分給与支払報告書(市町村提出用)を能代市税務課へ「ばれなければこれ幸い」と言わんばかりに提出していたこと。
④原田の申告でばれてから、払った給与を払わなかった事にする目的で平成27年分給与報告書(市町村提出用)を平気で取り下げたこと。
⑤取り下げた後の事務処理が行われないため、原田は税務上報酬を受け取ったままであり、給与支払者は払ったままになっていること。
こうした鎌田義人教育委員会教育長始め嶋田均教育次長の大ウソに、原田は「又か!」と、忘れることのできない様々な出来事もよみ返って火が付いてしまったのである。

 三浦正隆三種町長はじめ鎌田義人教育長と関係者は、常識離れしている公金感覚、法令遵守に対する意識の欠如がここに至るまでの三種町のこの件に対する対応には重要な誤りと不備を認め、
正しき方向に軌道修正した上で謝罪することが、解決の第一だと誰もが思う。
法や関係条例を無視した業務遂行であることは明らかであり、職場全体の問題である。
無責任な詭弁を使って逃げて通り過ぎるレベルではないことを覚悟すべきだ。

「手痛い失敗の検証や反省がないまま更に突き進んだ墓穴の深掘りはやめたほうがいい。」という願いを込めて
三種町にはきつく抗議する次の申し入れをした。


注:3月31日付申入れ書原文中、1頁上4行目及び、3頁下2行目の「第26回」を「第29回」に訂正した。

 

 給与返還金の取扱いは「寄付金」でないでしょ!

平成28年3月28日付三種町 町長 三浦正隆に直直にした申入れ書の内容は、給与の返還金119,912円を公会計に
歳入措置をしないまま町施設の備品購入費に充て全額使っていたにも係わらず、能代市税務課へは27年分113,500円の給与支払報告書(市町村提出用)を提出していたことが、平成28年3月の27年分所得申告で判明した。
そのため、出来るだけ早い時期にこの事案の事実関係を精査し、責任ある説明を求める文書である。

 私は、①平成28年3月28日付直々の申入れ書、②平成28年3月31日付けファクスで送信した申入れ書が、
三種町文書事務取扱規程に基づいた処理がなされているかどうか、平成28年8月29日付で、申入れ文書の収受簿の
公開請求をした。

 

 

 ①平成28年3月28日付申入れ書に対する公開した文書処理票は、「収受番号 三種総収-1447」になっており、
文書管理システムに記録されている。
このことから三種町文書事務取扱規程に基づいた文書処理をしていることは分かる。
ところが、この文書処理票では、受付した申入れ文書の内容は、間違いなく給与返還金等の取り扱いになるべき
重要事項を、「件名 原田悦子氏からの寄付金取扱いの件」となっている。
おまけに、「簿冊名 苦情・相談処理簿」に綴じられていた。

 この「申入れ書」の文書処理を決済、承認した関係者は、その押印から、三種町側が担当牧野、係長清水、課長補佐石井、課長木村、総務課長木村、副町長高堂、町長三浦である。
合議に加わった三種町教育委員会側の押印は、柿崎、田村、後藤、嶋田教育次長、鎌田義人教育委員会教育長である。

 そこで原田は、この申入れ書の協議内容を記した文書の公開請求をした。実施機関は特に協議内容は文書にして残さなくとも職員間で情報が十分共有しているので、協議内容の記録文書は作成していない事を理由に文書不存在、非公開となった。これを不服として現在審査請求中である。

 次に、
②平成28年3月31日付、三種町 三浦町長と高堂副町長にファクスで送信したA4サイズ3枚の申入れ書は、すぐさま、三種町役場総務課から三種町教育委員会教育長・教育次長へFAX送信されていた。が、三種町文書事務取扱規程に基づいた処理が全くなされていない。
申し入れ書等文書を町が受付けた事を証する「収受番号」は勿論無い、綴じているファイルも無い、協議内容を記した文書は当然無い。無い、無い、無いは他にもいっぱいある。
私は担当係長に「三種町のファクシミリを介して受信した文書は、紙を食べるヤギさんの餌ですか」と、
訊いたくらい「無い」のがたくさんある。

 

随分、下世話好きな三種町長にお答えします。

能代市議会に暴力事件はありません

 平成28年3月31日付三種町 三浦町長と高堂副町長にファクスで送信した文書中の後段に「…能代市議会の議長の暴力事件の本当はどうなのですか?」と、国文祭開催を明日に控え、準備に追われる職員たちへの労をねぎらう言葉もなく無礼なことを聞いてくる三種町長と、森岳駅に審査委員長を2時間も置き去りにしたまま飲酒して上機嫌になっていた国文祭実行委員長である三種町長の姿勢を記している。

 これは、26年9月(?)能代市議会一般質問中日本共産党小林秀彦氏の議会発言を巡って、議長が注意を喚起したことに始まった議会休憩中の廊下での出来事である。

 議長は、議場整理の理解を求めるために「ちゃんとしてや」との言葉のやり取りはあったが手は出していないという。。

 ところが、「議長はおれ(小林)の胸ぐらを掴み暴力行為に及んだ」と主張する日本共産党小林秀彦氏。彼は常日頃から議長の失脚を狙う格好にまんまと嵌めこみたかったのだろう。
この手法は、日本共産党独特の選挙に的を絞った宣伝効果になる。

 第一、議長と小林氏では、身長に差があり過ぎている。中柄の議長が大柄の小林氏の胸ぐらを掴むには、議長が飛び上がるカエルにならなければ物理的にできない。


(文責:原田悦子)


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