東北古代通史・年表 |
西暦 | 年号 | 月 | 事項 |
神武 即位前3 |
ニギハヤヒ命、ナガスネヒコを謀殺して神武東征軍に帰順する。 ナガスネヒコの兄安日王、東国に逃れる。 |
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景行紀27 | 2 | (日本書紀)、武内宿禰が東国から帰還して奉言するには 「東の夷の中、日高見国有り。其の国の人 男女並びに惟結け身を文けて人と為り勇み悍し。是を総て蝦夷と曰ふ」。 |
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478 | 倭王武 雄略天皇 |
宋に上表文をおくる。「東は毛人を征すること五十五国 西は衆夷を服すること六十六国」とあり 大和朝廷からみて関東・東北地方に住む人々は 毛人すなわち蝦夷(えみし)といわれた。 |
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587 | 用明 2 | 蘇我馬子が聖徳太子らとともに物部守屋を滅ぼす。 | |
645 | 大化 元 | 6 | 中大兄皇子が中臣鎌足らとはかって蘇我入鹿を誅する。大化の改新が始まる。 |
658 | 斉明 4 | 4 | 阿倍比羅夫が180艘の船団を率いて、蝦夷、粛慎を討つ。 |
659 | 5 | 3 | 阿倍比羅夫が津軽、秋田などの蝦夷を討ち、後方羊蹄(しりへし)に 政所を置く。 |
660 | 6 | 3 | 阿倍比羅夫が粛慎を討つ。 |
663 | 天智 2 | 8 | 日本・百済軍が白村江で唐・新羅の連合軍と戦って敗れ、百済は滅びる。 |
668 | 天智 7 | 高句麗が唐・新羅の軍と戦って敗れ、滅びる。 | |
709 | 和銅 2 | 2 | 巨勢麻呂、佐伯石湯が将軍となり越後・陸奥の蝦夷を征討する。 |
710 | 和銅 3 | 3 | 都が平城京に遷される。 |
712 | 和銅 5 | 1 | 太安麻呂が「古事記」を撰上する。 |
713 | 和銅 6 | 5 | 諸国に「風土記」の編纂を命じられる。 |
720 | 養老 4 | 5 | 舎人親王が「日本書紀」を撰上する。 |
9 | 陸奥国の蝦夷が反乱を起こし、按察使(あぜち)上毛野広人を殺害。 | ||
724 | 神亀 元 | 3 |
陸奥国の蝦夷が反乱を起こす。 この年、陸奥国の多賀城が築かれる。 |
733 | 天平 5 | 12 |
出羽柵が秋田村高清水岡に移される。 (後の秋田城・専当した出羽国司の官職名を秋田城介という)。 |
749 | 天平勝宝 元 |
2 | 陸奥国にわが国で初めての産金がみられる。 |
752 | 天平勝宝 4 |
2 | 陸奥国多賀以北の調庸が黄金と定められる。 |
東大寺・大仏の開眼供養が行われる。 | |||
759 | 天平宝字 3 | 9 | 出羽国に雄勝、平鹿の2郡が置かれる。 |
767 | 神護景雲 元 |
10 |
伊治(これはり)城を築く。 |
770 | 宝亀 元 | 8 |
蝦夷の宇漢迷公宇屈波宇ら、反旗を翻すかのように 一族を率いて柵から逃げ引き上げる。 |
776 | 宝亀 7 | 5 | 出羽国志波村の蝦夷がそむく。 |
11 | 陸奥国軍3000人が胆沢の蝦夷を討つ。 | ||
777 | 宝亀 8 | 12 | 出羽国志波村の蝦夷が出羽国軍と戦って勝つ。 |
780 | 宝亀11 | 3 | 陸奥国の夷浮伊治公呰麻呂がそむき按察使紀広純を伊治城で殺して多賀城に 侵入する。 (伊治公呰麻呂の乱) 伊治公呰麻呂はその後不明。 |
784 | 延暦 3 | 11 | 桓武天皇、都を山背国の長岡京に遷す。 |
789 | 延暦 8 | 3 | 征東大使紀古佐美ら蝦夷征討軍が多賀城を進発する。 |
6 | 胆沢の巣伏村で大墓公阿弖流為らの蝦夷に大敗し、紀古佐美、責をうけて 処罰される。 |
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791 | 延歴10 | 7 | 大伴弟麻呂を征夷大将軍に、坂上田村麻呂らを副将軍に任命。 |
794 | 延暦13 | 6 | 副将軍坂上田村麻呂ら蝦夷を征討する。 |
10 | 都が平安京に遷される。 | ||
797 | 延歴16 | 11 | 坂上田村麻呂が征夷大将軍となり、胆沢遠征の準備開始。 |
802 | 延暦21 | 1 | 坂上田村麻呂が胆沢城を築く。駿河、甲斐、武蔵など東国の浪人4000人が胆沢城に 移される。 |
4 | 阿弖流為・磐具公母礼らが降伏する。 | ||
8 | 阿弖流為・母礼、河内椙山(杜山)で斬刑。 | ||
803 | 延歴22 | 3 | 坂上田村麻呂が陸奥志波城を築く。 |
804 | 延歴23 | 1 | 坂上田村麻呂が再び征夷大将軍となる。 |
808 | 大同 3 | 5 | 藤原緒嗣、陸奥出羽按察使に任命。胆沢城鎮守府成立。 |
811 | 弘仁 2 | 1 | 陸奥国に和我・稗縫・斯波の三郡が置かれる。 |
4 | 文室綿麻呂が征夷大将軍になる。 | ||
5 | 坂上田村麻呂が没する。 | ||
7 | 吉弥候部於夜志閉(きみこべのおやしへ)ら閉伊村を襲う。 | ||
812 | 弘仁 3 | 6 | 諸国に夷浮の長が置かれる。 |
814 | 弘仁 5 | 徳丹城が完成。 | |
835 | 承和 2 | 2 | 俘囚勲5等吉弥候宇加奴が物部斯波連(しはのむらじ)の姓(かばね)を賜る。 |
837 | 承和 4 | 4 | 陸奥出羽按察使が陸奥の百姓の騒乱を報告する。 |
875 | 貞観 17 | 下総国・下野国の俘囚が反乱を起こす。 | |
878 | 元慶 2 | 3 | 出羽国の俘囚が反乱を起こし秋田城をおそう。(元慶の乱)。 反乱鎮圧に鎮守府将軍・小野春風進発。 |
935 | 承平 5 | 平将門・藤原純友の乱。 | |
1051 | 永承 6 | 前九年の役始まる。 安倍頼良、貞任ら鬼切部で陸奥守・藤原登任と戦い勝利する。 源頼義、頼良追討のため陸奥守に任じられる。 大赦により、頼良は頼時に改名、頼義に服しす。 |
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1056 | 天喜 4 | 7 | 藤原経清、安倍氏に合流する。 |
1057 | 天喜 5 | 7 | 安倍頼良が戦死。 |
11 | 源頼義、黄海で安倍貞任と戦い大敗す。 | ||
1062 | 康平 5 | 出羽仙北の俘囚長・清原武則、源頼義とともに衣川柵・鳥海柵、厨川柵を攻める。 | |
9 | 厨川柵が陥落し、安倍氏滅亡。前九年の役終わる。宗任は降伏する。 (安東氏の祖・高星丸が津軽・藤崎に逃れる)。 |
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1063 | 康平 6 | 2 | 清原武則、安倍氏追討の功により鎮守府将軍に任じられる。 源頼義は伊予守・源義家は出羽守となる。 |
1083 | 永保 3 | 9 | 陸奥守源義家赴任。清原家衡と清原(藤原)清衡、異母兄の真衡(さねひら)と争う。 義家が真衡を支援して家衡・清衡を攻める(後三年の役始まる)。 |
1085 | 応徳 2 | 真衡の急逝により、家衡と清衡が分割相続の不満から、争いが起こる。 陸奥守・源義家、清衡を支援し家衡を攻める。 |
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1087 | 寛治 元 | 12 | 源義家、出羽国金沢柵を陥し家衡・武衡を討つ。(後三年の役終わる)。 |
1089 | 寛治 3 | 清衡、陸奥押領使となり、江刺郡豊田館に移る。 | |
1105 | 長治 2 | 2 | 藤原清衡、江刺郡豊田館より平泉に本拠を移し、平泉に中尊寺を建てる。 このころ、藤原基衡生まれる。 |
1117 | 永久 5 | この年、毛越寺を建てる。 | |
1122 | 保安 3 | 中尊寺経蔵落成。 この年、藤原秀衡生まれる。 | |
1124 | 天治 元 | 3 | 藤原清衡が中尊寺金堂などの落慶供養を行う。 |
1128 | 大治 3 | 7 | 藤原清衡死去(73歳)。 |
1155 | 久寿 2 | 藤原泰衡生まれる。 | |
1157 | 保元 2 | 3 | 陸奥出羽押領使・藤原基衡死去。 |
1159 | 平治 元 | 源義経生まれる。 | |
1167 | 仁安 2 | 2 | 平清盛が太政大臣となる。 |
1175 | 安元 元 | 源義経、平泉に来て秀衡の保護をうける。 | |
1181 | 養和 元 | 8 | 藤原秀衡、鎮守府将軍となる。 |
1186 | 文治 元 | 3 | 源義経が長門国壇ノ浦で平氏を破る。(平氏滅びる)。 |
11 | 源頼朝が義経追討の院宣を受ける。 | ||
1187 | 文治 3 | 2 | 源義経、藤原秀衡を頼り陸奥へ下る。(源頼朝が義経追討の院宣をうけ)。 |
10 | 29日 藤原秀衡死去(67歳)。 | ||
1189 | 文治 5 | 4 | 30日、藤原泰衡、平泉の衣川館を攻撃、源義経自害する。 |
7 | 19日、源頼朝、奥州藤原氏追討のため鎌倉を発つ。 | ||
8 | 10日、伊達郡阿津賀志山で、藤原国衡ら戦死。 21日、源頼朝が藤原泰衡追討で平泉に入る。 |
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9 | 3日、藤原泰衡、河田次郎に殺され平泉藤原氏滅亡。 4日、頼朝の軍勢志和郡陣岡・蜂神社で、北陸道の部隊と合流 。 11日、頼朝、岩手郡厨川におもむく。 21日、頼朝、胆沢郡鎮守府八幡神社に奉幣。 22日、葛西清重を陸奥国御家人の奉行(奥州総奉行)に任命。 |
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奥州攻略の論功行賞として、斯波郡の北上川東は河村四郎秀清に 川西は足利義兼に与えられる。 |
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1190 |
建久 元 | 3 | 大河兼任の乱鎮圧。 |
1192 | 建久 3 | 7 | 源頼朝が征夷大将軍となる。 |
1321 | 元亨 元 | 津軽安東氏一族の間に分裂抗争が起こる。 | |
1333 | 正慶 2 | 5 | 新田義貞が鎌倉を攻め、北条氏が滅び鎌倉幕府が滅亡する。 |
1336 | 建武 3 | 11 | 足利尊氏が幕府をひらく(室町幕府の成立)。 |
1432 | 永亨 4 | 10 | 津軽の安東康季が南部氏に攻められ、十三湊をすてて松前にのがれる。 |
1467 | 応仁 元 | 5 |
応仁の乱が起こる。 |
参考文献 | ||
秋田安東氏物語 | 川原衛門 | 加賀谷書店 |
秋田「安東氏」研究ノート | 渋谷鉄五郎 | 無明舎出版 |
郷土史の窓・能代湊・檜山周辺史話 | 長岡幸作 | 北羽新報社 |
白鳥伝説 | 谷川健一 | 集英社 |
津軽・秋田安東一族 | 七宮A三 | 新人物往来社 |