野代湊と渤海国
689年、渤海国は朝鮮の高句麗の遺民が中国東北部(旧満州)から
ロシア極東にわたる沿海州に建国された国です。
727年から929年の約二百年間に日本との交易を積極的に望み
三十五回にわたって日本に使節団を派遣している。
宝亀2年(771)6月、第7次国使である壱萬福等は十七隻の船団で、渤海国の塩州(北港)を出港し
野代湊に上陸している。
宝亀2年(771)12月、渤海国の国使である壱萬福等の使節40人は平城京(奈良)に召され
翌3年に位と禄を受け渤海国に帰国の途についている。
わが国は、遣唐使とともに渤海国を通して唐との交易もすすめられ
また文化を吸収していたのでる。
大陸との交易の決済は物々交換もあったが、代価物として砂金が使用されていたようである。
渤海国からは毛皮(クマ・トラ・ヒョウ・テン)魚類、人参などの薬草、蜜、昆布、鷹、馬
中国銭(唐、宋銭)などが輸入され、日本からは絹、綿、織物、植物油などを輸出していた。