読書について

漂流記
父系の指


漂流記

 子どもの頃から漂流ものに興味を持った。サバイバル的環境に身を置いて空想を楽しむのである。たいていはどこか南の孤島であった。船が難破して小さな島に一人たどり着くのである。眠れない夜はよくこの空想に浸った。島には水もあり、緑が豊かであった。その島でいかに食物を手に入れ、いかに住居を確保して生活していくか、などに苦心しながら救援を待つというような設定であった。「ロビンソン漂流記」そのままであった。ダニエル・デフォーのこの作品は漫画や子ども向けに要約されたものを何度も読んだし、ある程度大きくなってからはオリジナルの翻訳物をくり返し読んでは主人公になりきった。「15少年漂流記」(ジュール・ヴェルヌ作)という小説もあるが、これは孤独をテーマにしていないだけに私にとっては迫力を欠いていた。
 吉村昭氏に「漂流」という作品がある。守谷司郎監督、北大路欣也主演で映画にもなった。江戸時代、漁船が難破して南鳥島に流れ着く。草木も生えない無人島である。鳥島はほとんど岩だけの小さな島で、食べ物は島に営巣しに来るあほう鳥の肉と卵だけである。水もない。火もない。救助の船は来ず、一人また一人と死んでいく。一人残された主人公が孤独地獄のと戦いながら、あほう鳥を捕えて干肉を作り卵の殻に雨水をためて生き延びる、そして13年後にようやく助かるという設定である。激しい天候、日照り、夜の寒さ、大自然の真っただ中に放り出された主人公の生活は悲惨を極めた。生き続けることが出来たこと自体不思議である。私には百パーセント不可能である。
 こういうサバイバルの状況に身を置かれると機械文明にどっぷり浸かった現代のわれわれでは誰も生きていくことが出来ないのではないか。食べ物ひとつ手に入れるのにどうしていいか分からず、餓死する羽目になってしまうであろう。古代の人間、少なくとも近代以前の人間なら乗り切っていけるのかもしれない。身の回りにあるものはすべて利用する生活の知恵は現代の人間よりはるかに勝れているはずである。
 私が日常携わっている医療の分野に目を転じてみる。近年の診断技術は著しく発達し、まさに日進月歩である。画像診断においても一枚の写真に人体内部の隅々まで映し出される時代である。こういう時代であるからつい基本的な診断学のイロハを忘れてしまいがちであるが、どんな高度な機器もあくまで診断の補助でしかないはずである。万一診療機器が一切何もない状況に置かれたらどうであろうか。少しでも正確な診断に近づこうとすれば、全身をくまなく見て身体に現れるどんな微かな所見も微かな音も見逃さない、聞き逃さないと努力するであろう。聴診器がないから聴診が出来ないとは言えない。竹の筒でも何でも利用するかもしれない。日本でも江戸時代など近代医学が発展する以前はそうであった。だから多くの先人たちの幾多の経験が積み重ねられて、いわゆる診断学というものが少しずつ発達してきたのであろう。
 診療機器が何もない状況なんてあり得ないと反論される方もおられるであろうが、ある日突然どういう状況になるか分からないのが今の世の中である。世界戦争が勃発するかもしれないし、天変地異が起きるかもしれない。少年時代に夢想した緑豊かな美しい無人島に漂着してそこで云々などということはそれこそあり得ないであろうが、やはりわれわれ医師は人間をみる以上、医療の原点である基本的な診断学をおろそかにせずに常に人間の目で日常の診療にあたっていきたいものである。私自身もそういう医師でありたいと願っている。



父系の指

 大学に入学して最初の夏休みが終わった。教室に入ると同級生の某君が「国は暑かったでしょう」と声をかけてくれた。同級生とはいえ当時はまだ親しいわけではなかったし、私も生来の怠け癖が出て一学期の授業は結構さぼっていた。だからおそらく私の髪の毛の性状と肌の色の黒さから、学校であまり見かけなかった秋田の田舎出身の私を南の国からの留学生と間違ったのであろう。最近も国内の空港で受付の日本女性に英語で話しかけられた。国際線のカウンターで行き先が東南アジアだったから苦笑いするしかなかったが、その時は30数年前の同級生の某君の優しい表情が懐かしく思い出された。
 私の髪の毛はかなり縮れている。床屋泣かせなほどの縮毛である。小学生の頃はクラスメートによくからかわれた。私は父の故郷の奈良で生まれ小学校入学前に秋田県に越してきたから、初めは友達の言葉が理解できなかった。今の子どもたちは学校教育やテレビなどの影響で標準語的な言葉を話すが、当時は純粋の秋田弁であった。だから秋田弁を話せない私はますますからかわれやすかったのであろう。中学生になってからもそうであった。すでに言葉には馴染んでいたが、縮毛に由来するあだ名まで付けられ、特に悪童たちからは本名で呼ばれることは稀であった。今のようないわゆる”いじめ”ほど陰湿、悪質ではなかったであろうが、当時のいろいろな状況はひとつひとつよく覚えている。
 私の父が私と全く同じ縮毛なのである。決して勤労意欲があるとは言えない、性格的にも気の弱い父であった。子どもの頃、母方の叔父に「おまえのその細くて長い指はおまえの親父そっくりだ」と言われたことがある。言外におまえの父はあまり働かない人間、頼りない人間であるという含みがあり、子供心にもかすかな反発を覚えた記憶がある。今から思えばちょうど松本清張氏の「父系の指」が発表された頃のことであり、作品の主人公がやはり母方の叔父に言われたことと酷似しているが、当時の私の叔父がこの小説を読んでいたとは思えない。「父系の指」は「半生の記」や「遠い接近」などと並んで氏の自伝的要素の強い作品であると言われている。主人公の父の生い立ちから始まり、父の破滅的な言動や行動、大言壮語で実質的には何もしてくれない父と自分の関係、父と出世した父方の叔父との疎遠な関係などを綿々と記していく。主人公は父から受け継いだ血に対する嫌悪を鬱積させてゆき、次第に自分の負担になり決して尊敬できない父の像を細かく描き出してゆく。それでも後年になってから、東京で成功していると父が自慢と羨望を交えてよく話していた父方の叔父の家を訪ねてゆく。叔父はすでに他界していたが、初めて会って歓待してくれたいとこの指に目を留めて、自分の指とあまりに似ていることに底知れない嫌悪を覚える。ここで父の劣性のみを受け継いだと自覚している主人公の同じ血への厭悪と憎悪は頂点に達するのである。
 自分を悲劇の主人公に見立てて空想に浸る癖のある私は、この作品に自分と父の関係を重ね合わせ、主人公の父に自分の父を相似させてしまった。だから松本清張氏が何かの雑誌に「父系の指」は創作であると書いていたのを読んだときは気持ちが救われる思いであった。創作でなければ肉親の劣性についてここまでは書けないだろうと思ったからである。
 私も最近は白髪が増えさらに後頭部が少々薄くなってきたが、これも壮年期以降の父と全く同じである。逆恨みであることはわかっていても父のマイナス面だけ似ることには腹立たしくさえなる。縮毛などは今さら気にならなくなったが、自分の生来の気の弱さを事あるごとに自覚するにつけ、もしかして自分は父の人生をそのまま踏襲しているのではないかと恐ろしくなることがある。
 私の母は早くに亡くなったが生前はいつも父の気の弱さを心配していた。母の死後、父の弱さはますます顕著になった。だから何かにつけて私を頼ってきた父に煩わしささえ感じたことは否定しない。ただ、父は物質的な豊かさこそなかったが、私たち子どもには優しかった。私に何かいいことがあったときはいつも自分のことのように喜んでくれた。友達に縮毛をからかわれて悔し涙を流したことなど遠い日の出来事である。世の中には幾多の障害を抱えてなおめげずに生きている人がたくさんいる。その人たちが幼少の頃から背負ってきたであろう苦難の道を思うと、私が受けたからかいなど単なる子ども同士のお遊びでしかなかったであろう。何よりも父はなけなしの金をはたいて私に教育を受ける機会を与えてくれた。父のおかげで私の生があり、私の子どもたちの生があるのである。父は78歳で他界した。今年の七回忌の法要では父の位牌にあらためて深く頭を下げ、手を合わせた。


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