「ボランティア活動とは」

能代市社会福祉協議会

福祉活動専門員 安部美恵子

10代の頃、東京のサンダースホームでボランティアを始めたのが、 私と障害者との出会い・・・その後の「自分の人生はボランティア活動そのものである。」

吉野まつり

ボランティアとして毎年に参加している。そこでは、18歳以上の知的障害者が生活しているが、夕食となると、口から食物をこぼす、落とす、相手を叩く、指で指してくる等々、すごい騒ぎになる。ある利用者は私に「結婚してな!」と言ってくる。私を恋人と思っているんだろう・・・。抱きついてきて私の服が彼のよだれだらけになってしまうこともあるけれど、自分を待っている人達がいるその喜びはかけがえもなく大きい。彼らから学んだことは大きいけど、彼らにしてあげたことは少ない。そんなことより、自分の身体の続く限り施設訪問を継続して行くことが大切なんだと思っている。

安部美恵子氏講話会世界の子供たちにコーヒーいっぱいの幸せを

毎年12月に募金活動をしている。(今年は 12月23日の予定)

この募金活動には、小学生、中学生多くのお子さんがボランティア参加してくれている。私が持っているボランティアネットワークの仲間たちに声をかける。もちろん参加はこどもたち自身の意志の上でのことである。

ある年、参加をやめるよう母親から言われた小学生がいた。母親から私への批判めいた電話もあった。それでも彼女は自分の意志で、本当にやりたくて参加し続けた。「娘さんの姿を一度ご覧ください。それからまた娘さんと話し合ってください。」と言われた母親は募金活動当日、こっそり陰で見ていたという。ところが、反対していた母親の目に映ったものは、大きな声をあげ、生き生きとした娘の姿、キラキラした目。こんなにも娘が輝いている・・・。娘の持つ募金箱にお金を入れ、「がんばってね。」とひとことを差し出した。

私は、子供であっても本人がボランティアの意志があれば尊重すべきだと思っている。家族の意向や親の意見もあると思うが、子供のボランティアへの気持ちが親や周囲の人達を変える力になっていくと思う。

ひまわり号

ひまわり号は地元JRの電車に乗り、障害者、高齢者、その家族、たくさんのボランティアとともに、能代から青森県岩崎村十二湖までの旅である。ここでも、たくさんのボランティアが必要とされる。だが、その活動の意味を理解せず自分の都合のいい時間にやっている人もいるのが現実だ。今年は、高校生のボランティア20名が遅刻、その後の活動に多いに支障をきたした。後日、その高校生たちの前で私はこう言った。

「ボランティアというのは、人の命を預かる責任ある行動である。」

自分には、いろいろな誹謗中傷がある。でも、ボランティア活動を考える時「自分がやってもらいたい、ということを先にやろう」と思う。人間は苦しむために生まれてきたのではなく、楽しむために生まれてきたのだ。誰にだって幸せになる権利がある。自分はただ、その手助けをしたいのだ。「自分がボランティアをやっていて、喜んでくれる人がいる。」それがあるから、長年続けれるのだ。

安部さんのこのパワーの源はいったいなんだろう・・・と1時間半の講話中、考えていた。 ひまわり号でマイク片手に指示を出しているオバサン(失礼!) はいったい何者?と思ったのが最初だったのだが、講話が終わってもその不思議なパワーに圧倒されていた。すごいなのひとことにつきる。正直言って能代にこんな人物がいるのはじつにウレシイ。

だけど、障害児の母親にとって、安部さんのようなパワーが重荷に感じてしまうことだってある。 なんだか「ガンバレ!ガンバレ!」と背中を押されているようだ。 障害を持つ人たちはがんばらないと普通の生活ができないの? 私たちの願いは、がんばらなくても心地良く暮らせる社会なのだから。(K.Suzuki)